つて思ふに、僕が露風氏等の所謂「象徴詩」を痛撃したことが、間接に蒲原氏の耳に誤伝され、当時既に詩壇を退いてゐた蒲原氏にまで誤つて自家のこととして偏解されたのらしい。風説によれば、僕からの序の依頼をみて蒲原氏曰く「人の芸術を悪罵しておきながら、その同じ人に対して序をたのむとは図々しい奴もあつたものだ」と言はれたさうです。
始め、蒲原氏が序の懇願に応じてくれなかつた時、多分天才にありがちの物臭さからと思ひ、僕は何とも思はずに居ましたが、後日(最近)になつて上述の風説を知り、自らその意外に驚くと共に、蒲原氏に対して自分の全く曲解されたことが口惜しく残念でたまらずよつてこの消息を近く何かの雑誌に発表しようと思つてゐた所であつた。幸ひ貴君の手紙によつて書くヒントを得たから、全文或いは概要を貴誌に掲載して貰へれば幸甚です。かかる弁明は、むしろ「常識ある頭脳」に対して愚劣事にすぎないけれども、世間には存外馬鹿者が多いから念のため注意しておく。即ち蒲原有明氏と三木露風氏とは、詩格に於ても詩想に於ても、全然別個のものに属し、更に相関する所なし。詳説すれば、蒲原氏の詩風は浪漫的にして、しかも情緒の濃厚なる神秘的気韻を特色とするのに、露風氏及びその一派の所謂「象徴詩」なるものは、全然古典的、理智的にして、何等の夢幻的情想も浪漫的情緒も有せず、むしろその正反対なる厳粛端麗なる理智的格調の美に長所を有するので、あたかもフランス詩壇における高踏派《パルナシアン》(象徴詩派前派)の如し。之に対し有明氏の詩は、この高踏詩派を敵として興つた情熱主義のヴヱルレーヌやボドレエルの一派、即ちフランス詩壇の象徴詩派《サムボリズム》(これが同時に自由詩の先駆であつたことは人の知るごとし)に比較される。故に外国流の称呼に従へば、蒲原有明氏の詩風は象徴詩であるが、露風氏一派の詩は正しくその反対なる高踏詩派に属すべきである。しかし日本の詩壇では、露風氏等の詩を象徴詩と称してゐる故に、僕の言もこれを便として用ゐるのみ。もとより詩派の称呼の如きはどうでも好いので、要は内容に存するのである。
私信が余談に渡つて失礼しました。とにかく蒲原有明氏は、今日の詩壇の先駆者であつて、永遠に価値を有する天才です。今日の無内容な詩壇に向つて言ひたいことは、実に一語「蒲原有明に帰れ」である。(以下略)
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