支那に於ても日本に於ても、国情の著るしい欧風化は、もはや旧来の慣習を許さぬだらう。何よりも第一に、我々の女たちが変つて来た。彼等の結婚に対する考へ方が、母愛よりも享楽を望むところの、西洋の習俗に近づいて居り、そしてまた実際に、我々の家庭そのもの[#「家庭そのもの」に傍点]が変化した。殆ど概ねの女たちが、今では家庭の妻として愛されるより、むしろ路上を散歩する情婦として、コケツトとして愛されるであらうことを、その良人に対してすら[#「その良人に対してすら」に傍点]望んでゐる。一方に芸者や妓生やは、社会の種々なる変革から、今日事実上に亡びてしまつた。そして尚その上に、今日では妾《めかけ》を持つといふことすらが、経済上困難になつてしまつた。(昔はたいていの男が、一人や二人の妾は囲つて居た。妾宅は当時に於て、私設の社交機関でもあつたのだ。)
それ故に今日では、我々の家庭もまた、西洋と同じにならうとして居る。我々の時代の女たちは、純粋の家庭婦人《ハウスキーパー》として典型されず、一方に社交界の花形を兼ね、一方に良妻賢母を兼ねるところの、二重の負担に於て教育される。その良人たちがまた、妻に対して妾を兼ね、母性に対して情婦の愛嬌を兼ねるところの、二重の情操を要求して居る。だが不幸にして、自然は一つの徳に二つをあたへず、そんな慾ばつた要求を聴いてくれない。我々の新しい東洋人が、おそらくはまたそれによつて、古き西洋の悔恨を嘗め、彼等の大多数を憂鬱にしてゐるところの、あの家庭地獄を経験せねばならないだらう。
底本:「日本の名随筆83 家」作品社
1989(平成元)年9月25日第1刷発行
底本の親本:「萩原朔太郎全集 第四巻」筑摩書房
1975(昭和50)年7月
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2004年8月10日作成
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