でくる海の郷愁を感じたりした。
 その頃私の居た地方の高等学校では、真紅色のリボンに二本の白線を入れた帽子を、一高に準じて制定して居た。私はそれが厭だつたので、白線の上に赤インキを塗りつけたり、真紅色の上に紫絵具をこすつたりして、無理に一高の帽子に紛らして居た。だがたうとう、熱情が押へがたくなつて来たので、或夏の休暇に上京して、本郷の帽子屋から、一高の制定帽子を買つてしまつた。
 しかしそれを買つた後では、つまらない悔恨にくやまされた。そんなものを買つたところで、実際の一高生徒でもない自分が、まさか気恥しく、被つて歩くわけにも行かなかつたから。
 私は人の居ないところで、どこか内証に帽子を被り、鴎外博士の『青年』やハイデルベルヒを聯想しつつ、自分がその主人公である如く、空想裡の悦楽に耽りたいと考へた。その強い欲情は、どうしても押へることができなかつた。そこで、或夏、七月の休暇になると同時に、ひそかに帽子を行李に入れて、日光の山奥にある中禅寺の避暑地へ行つた。もちろん宿屋は、湖畔のレーキホテルを選定した。それは私の空想裡に住む人物としても、当然選定さるべきの旅館であつた。
 或日私は、附
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