向で惰力して行つたら、おそらく辻潤や高橋新吉のやうな本格的のダダイストになつたにちがひない。それが幸ひ(だか不幸だか知らないが)一つの昂然たる貴族的精神によつて、今日まで埋没から救はれてるのは、ひとへに全くニイチェから学んだ訓育の為である。そしてこの一事が、僕のニイチェから受けた教育のあらゆる「全体のもの」なのである。



底本:「日本の名随筆 別巻92 哲学」作品社
   1998(平成10)年10月25日第1刷発行
底本の親本:「萩原朔太郎全集 第九巻」筑摩書房
   1976(昭和51)年5月
入力:加藤恭子
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年5月3日作成
青空文庫作成ファイル:
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