困難だらうと。この原理を敷衍すれば、菓子は「くわし」と書かずして「かし」と書き、關東は「くわんとう」でなくして「かんとう」、蝶は「てふ」でなくして、「ちよー」と書くべき筈である。そしてローマ字論者や假名文字論者は、實際この通りに書いてるのである。しかし「國府津」の正しい發音は、驛札通り KAHUZU であつて KOZU でない。「關東」も正しい發音は KWANTO であつて KANTO ではない。ローマ字論者の主張が、言語をその發音通りに正しく書くといふのであつたら、彼等の書法は、正にその主義と自家矛盾をしてゐるのである。
かうした僕等の質疑に對して、おそらくローマ字論者の答へる所は、國語の時代化した一般的通用性に從ふといふ、便利主義の實用效果を稱へるだらう。ところで僕のいちばん攻撃したいのは、この種の「誤つた便利主義」「淺薄な實利主義」なのである。なぜなら前に言ふ通り、日本現代語の混亂と猥雜とは、發音の韻を等閑にして、文字をデタラメに讀むことを教へたことに、一切の教育的因果を負ふからである。何よりも我々は、國語問題の急務として、今日「耳の健康」を囘復せねばならないのである。現代の通
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