事は何うしてもみのるの仕事であつた。みのるの藝術は何うしてもみのるの藝術であつた。みのるは自分の力を自分で見付けて動きだしたのだ。義男はそれに口を挿むことは出來なかつた。義男は然う思つた時、この女から一と足一と足に取り殘されてゆくやうな不安な感じを味はつた。
ある時この二人の許へ訪ねて來た男があつた。これは義男と同郷の男で帝國大學の文科生であつた。この男の口からみのるは何日《いつか》の自分の作を選した眞實《ほんたう》のもう一人を知つた。それは簑村といふ新らしい作家であつた。新聞に發表されてゐた選者の一人は病氣であつた爲、その人の門下のやうになつてゐる簑村文學士が代選したのだといふ事がこの男を通じて分つた。この大學生は簑村文學士に私淑してゐる男であつた。
みのるはそれから間もなくこの大學生に連れられて簑村文學士をたづねた。その人の家は神樂坂の上にあつた。
其の家へ入つた時、みのるは上り口の薄暗い座敷の中で箪笥の前に向ふむきに立つてゐる男を見た。初めて來た客を奧へ通すまで其所に隱れて待つてゐる樣な容態があつた。その障子が開いてゐたのでみのるの方からすつかり見えた。
昔はどんなに美しかつたかと思はれるいゝ年輩の女に奧へ通されて待つてゐると、今向ふむきに立つてゐた人が入つて來た。それが簑村文學士だつた。言葉の調子も、身體も重さうな人であつた。
この文學士は作を選する時の苦心を話した。その原稿が文學士の手許にあつた時、夏の暴風雨と大水に出逢つてすつかり濡らして了ふところだつたのを、文學士の夫人が氣にかけて持ち出したといふ事だつた。その時崖くづれで家が破壞された爲この家へ移つたのださうであつた。
「あれを讀んだ初めはそんなに好いとも思ひませんでしたが中頃から面白いと思ひだした。けれどもね、百點をつけるといふ譯にはいかないと思つてゐると、家へ有野《ありの》といふ男がくる。それに話をすると其れぢや折角の此方《こつち》の主意が通らないといけないから百二十點もつけておけといふんでせう。有野は自分に責任がないからそんな無茶な事をいふけれども私にはまさか然うもゆかない。それで思ひ切つてあなたの點と他の人の點を二三十も違はしておいた。他の選者の點の盛りかたを見るとあなたは危ない方でしたね。」
文學士は、この女の機運は全く自分の手にあつたのだといふ樣な今更な顏をしてみのるを眺めた
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