の師匠もゐた。その人の點の少なかつた爲に、みのるの仕事は危ふく崩れさうな形になつてゐた。義男は口を極めて向島の師匠を呪つたりした。さうして却つてこの人に捨てられた事を義男はみのるの爲めに祝福した。他に二人の選者がゐた。その人たちはみのるの作を高點にしておいた。義男はこの人たちを尋ねることをみのるに勸めた。一人は現代の小説のある大家であつた。この人は病氣で自宅にはゐなかつた。一人は早稻田大學の講師をしてゐる人で、現代の文壇に權威をもつた評論家であつた。みのるはその人を訪ねた。義男はみのるが出て行く時に、みのるが甞て作して大事に仕舞つておいた短篇をその人の手許へ持つて行く樣に云ひ付けた。その人の手から發行されてる今の文壇の勢力を持つた雜誌に、掲載して貰ふ樣に頼んで來た方がいゝと云ふのであつた。
みのるは義男の云ひ付けを守つてその短篇を持つて出て行つた。今までのみのるなら、こんな塲合には小さくとも自分の權識といふ事を感じて、初對面の人の許へ突然に自作を突き付けるといふやうな事は爲ないに違ひなかつた。けれどもみのるの心はふと痲痺してゐた。
みのるが訪ねた時、丁度其人は家にゐた。然《さう》うしてみのるに面會してくれた。「あれは確に藝術品になつてゐます。いゝ作です。」
その人は痩せた顏を俯向かしながら腕組みをして然う云つた。みのるの出した短篇の原稿もこの人は「拜見しておく。」と云つて受取つた。
その人は女の書くものは枝葉が多くていけないと云つた。根を掘る事を知らないと云つた。それが女の作の缺點だと云つた。みのるは然うした言葉を繰り返しながら歸つて來た。さうして逢つてる間にその人の口から出た多くの學術的な言葉を一とつ/\何時までも噛んでゐた。
十四
「あの仕事にはちつとも權威がない。」
みのるは直きに斯う云ふことを感じ初めた。片手に握つてしまへば切《き》れ端《はじ》も現はれない樣な百圓札の十枚ばかりは直ぐに消えてしまつた。けれどもそんな小さな金ばかりの問題ではない筈であつた。
義男に強ひられて出來た仕事の結果は、思ひがけない幸福をこの家庭に注《つ》ぎ入れたけれども、そのみのるの仕事には少しも權威はなかつた。社會的の權威がなかつた。仕事の上の權威から云つたらまだ一面から誹笑を受けた演劇の方に、熱い血が通つた樣な印象があるとみのるは思つた。
みのるの心
前へ
次へ
全42ページ中38ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田村 俊子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング