出て行つてから、[#「から、」は底本では「から。」]家の入り口の方へ釘を差しておいて自分も外に出た。[#「出た。」は底本では「出た、」]さうして廣小路へ來ると其所から江戸川行の電車に乘つた。
色の褪めた明石の單衣を着て、これも色の褪めた紫紺の洋傘《かうもり》を翳《さ》したみのるの姿が、しばらくすると、炎天の光りに射られて一帶に白茶けて見える牛込の或る狹い町を迷つてゐた。敷き詰めた小砂利の一とつ/\に兩抉《りやうぐ》りの下駄が挾まるのでみのるは歩き難《に》くて[#「歩き難《に》くて」はママ]堪らなかつた。その度に慟悸が打つて汗が腋の下を傳はつた。地面から裾の中へ蒸し込んでくる熱氣と、上から照りつける日光の炎熱とが、みのるの薄い皮膚《はだ》をぢり/\と刺戟した。みのるの顏は燃えるやうに眞つ赤になつてゐた。
みのるは橋の角の交番で「清月」と云ふ貸席をたづねると、其所から江戸川|縁《べり》の方へ曲がつて行つた。清月はその通りの右側にあつた。舊《もと》は旗本の邸《やしき》でもあつたかと思ふ樣な構造をした古るい家であつた。みのるはその式臺のところに立つて、取次に出た女中に小山と云ふ人をたづねた。
みのるは直ぐに奧に通された。がらん[#「がらん」に傍点]とした廣い座敷に、みのるは庭の方を後にしてこれから逢はうといふ人の出てくるのを待つてゐた。何所も開け放してありながら風が少しも通つてこなかつた。さうして日中の暑熱《あつさ》に何も彼もぢつと息を凝らしてる樣な暑苦しさと靜さが、その赤くなつた疊の隅々に影を潜めてゐた。みのるは半巾《はんけち》で顏を抑へながら、せつせと扇子を使つてゐた。
煙草盆を提げながら小作りな男が奧の方から出て來てみのるの前に座つた。瞳子《ひとみ》の黒い瞼毛《まつげ》の長い眼が晝寢でも爲てゐた樣にぼつとりと腫れてゐた。よく大坂人に見るやうに物を云ふ時その口尻に唾を溜める癖があつた。笑ふと女の樣な愛嬌がその小さな顏いつぱいに溢れた。
小山はみのるの名前は知らなかつたけれども義男の名前は知つてゐた。手に持つてるみのるの名刺を弄《いぢ》りながら、小山はみのると話をした。
小山は自分たちの拵《こしら》へてる劇團に就いて口を切つた。それからこの前の一回の興行はある興行師の手で組織された爲に世間から面白くない誤解を受たりしたけれ共、今度の第二回は酒井や行田《ゆきだ》
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