十人ばかり円を描いて踊っている。四十を越えた禿げ頭の男からおかっぱの女の子までまじっている。中折帽も踊っていれば鳥打帽も踊っている。着流しもいれば背広服もいる。よごれた作業服を纏《まと》ったまま手拍子とって跳ねている若者もある。下駄、草履《ぞうり》、靴、素足、紺|足袋《たび》、白足袋が音頭に合せて足拍子を揃えている。お下げ髪もあれば束髪もある。私が振返ってすっかり青葉になってしまった桜を眺めている間に、羽織姿の桃割《ももわれ》と赤前垂《あかまえだれ》の丸髷《まるまげ》とが交って踊り出した。見物人の間に立って私はしばらく見ていた。傍の男がこのくらいすくない方がかえっていいと呟《つぶや》いていたから、花盛りにはよほど大ぜい踊っていたものらしい。

 知恩院《ちおんいん》の前の暗い夜道をひとり帰りながら色々なことを考えた。ああして月給取《げっきゅうとり》も店員も運転手も職工も小僧も女事務員も町娘も女給も仲居もガソリンガールも一緒になって踊っているのは何と美しく善いことだろう。春の夜だ。男女が入り乱れて踊るにふさわしい。これほど自然なことは滅多にあるまい。異性が相|共《とも》に遊ぶ娯楽が日本にはあまりになさ過ぎる。人間は年が年じゅう、朝から晩まで、しかめ面《つら》して働いてばかりいられるものではない。たまにはほがらかに遊ばなければ仕事の能率も上りようがない。識者は思想問題や社会問題の由《よ》ってくるところを深く洞察すべきである。ああして一銭も要らずに誰れでもが飛び入りで踊って遊べるというのは何といいことであろう。こういう機会は大衆のためにしばしばつくってやらなければいけない。生きるためにはみんな苦労がある。ああして踊っている間はどんな苦労も忘れているだろう。

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乙《おつ》な桜の アラ ナントネ
粋をきかした 縁むすび
スッチョイコラ スッチョイコラ
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 私の耳の奧にはまだ歌が響いていた。何のせいか渾身《こんしん》に喜びが溢れてくる。私はどこの誰れとも知らない彼らみんなの幸福を心のしん底から祈らずにはいられない気持になった。接木《つぎき》をしたとかいう老桜よ、若返ってくれ。いつまでも美と愛とを標榜して人間の人間性の守護神でいてくれ。



底本:「九鬼周造随筆集」菅野昭正編、岩波文庫、岩波書店
   1991(平成3)年9月1
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