臣民の康福を増し国家の隆昌を図らんとするに外ならず(明治二十六年十二月十日)」と在り、綸言炳乎として衆庶の公益、臣民の康福を擁護せらるゝに存す。然るに畏くも 至尊統治の下に在りて施政の職に当れる栃木県地方官及下僚官吏ハ 聖旨を遵奉して吾等村民の生命財産を保護するに力を竭くさず、却て至尊の赤子たる吾等村民を駆て死地に擠さんことに努めつゝあり。豈是れ不忠の臣に非ずや。曠職の吏に非ずや。夫れ人生の尊貴なる所以ハ至誠を尽くして其宜しきを行ふに在り。孔子ハ之を仁と名け基督ハ之を愛と称せり。二者名称の差ありと雖も其隣人を愛するの極致に至りてハ未だ曾て反するものに非ず。伏して惟るに至尊施政の大道亦実に仁愛に淵源するあるハ明々白々の事に属す。
吾等村民ハ日に同胞の毒手に誘惑せられて困頓窮厄に艱み、郷閭の地より誘拐せられて異村の山河に悲み、家庭ハ冷かに墳墓ハ乱るゝの惨状に沈淪して哭天慟地の血涙に咽ぶの時に当り、人道上残虐の不幸に遭逢せる者を救ハれ豊饒なる吾等の居村を保持して財産を奪掠せらるゝの災厄を免るゝを得バ、衷心の歓喜何物か之ニ如かん。
想ふに群馬は吾隣県にして地勢治水の利害を同ふし、谷中一村の興廃ハ直に海老瀬村の消長に関し近くハ更に群馬、埼玉、茨城三県の利害に影響すべし。夫れ境土隣接して河川其間に横はるの地にありてハ、沿岸の人民其利害を一にするものなれバ治水の責任ハ連帯の行為と相待ちて行政区劃の上に異別の関係を存すべきに非ず。果して然らば買収の毒手、谷中村に侵入して全村を攪乱し村民を誘惑し村落を滅亡せしめんとするに当りてハ、吾谷中村と利害興廃を一にせる群馬県ハ須らく自県の安寧を計り自治団体の保全を勉め、更に進んで地勢治水の関係を有せる谷中村を拯ふに吝なる可きにあらず。抑為政の対象ハ人民にあり。人民ハ是れ四海同胞なり。国家機関の分配上府県道庁の区別ありと雖も直に之を以て甲乙二県ハ独立して関せざるものと云ふを得ず。甲乙二県とハ単に名義上の区別にして人類同胞の区別にあらざるなり。若し甲県に於て人民を酷遇せバ乙県之を救ふに於て何の不可か之あらん。是れ正義人道より生ずる当然の義務なり。況や国法と牴触せざる範囲に於てをや。殊に況や二県利害を一にし興廃を共にすべき運命を有するに於てをや。是れ自村の危急日に加はり悪鬼白昼に横行して良民其業に安んぜず村中擾々として如何ともする能ハざるの時ニ当り、村民の生命財産を保全し得んことを期して非常歎願を敢てし、正義人道の上に於て仁愛なる御救護を哀求する所以なり。泣血拝具
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明治三十八年十一月十七日稿
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前記歎願に就てハ同志多数、今や村中混乱せるの時ニ当り多数の村民出でゝ歎願するの余裕なく僅に一名辛ふじて急馳此事に及べり。希くハ諒恕せられん事を。
[#地から1字上げ]〔他筆 加除訂正田中 和紙一二枚綴〕



底本:「田中正造全集 第三巻」岩波書店
   1979(昭和54)年1月19日発行
※底本は、疑わしいと思われる箇所の右脇に、正しいと思われる形を、ルビのように注記しています。
入力:林 幸雄
校正:富田倫生
2003年5月13日作成
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