村は其の沖洲で出來たので、堤の外が良い土なので居りますのでどの位作物が取れるかと申しますと、鑛毒の話のない前は肥料をやらぬで十二俵半の米が取れる、村殘らずと云ふ譯にはいきませぬが先づ八俵九俵十俵十一俵十二俵半と云ふ所を昇降して取れた所である、其後鑛毒がありましてから堤防が切れると云ふと中へ鑛毒水が這入りますから中が惡くなりました、中が惡くなりましたけれ共三十五年に堤防の切れたのが大災害であつて又一の幸福になりましたのは三十五年に堤防の切れ目が如何にも場所が宜い所が切れまして三十五年にドツサリ泥が這入つた、三十五年のことは一ツ御話をしなけば[#「けば」に「〔ママ〕」の注記]なりませぬが、三十五年の暴風雨の時には日光其他足尾銅山黒髮山一圓の水源が多く荒まして、そうして渡良瀬川の川上に至つて南北十里東西三四里山が川に向けて崩れました、是が皆見物に往つて驚いて居ります有樣を爲した、殆ど山の土の流れたること五百年ぶりと云ふか千年振りと云ふか古來ないことが出來た、之が山林亂伐山の赤裸の所へ雨が降つたから崩れた、此土が一度にドン/\流れて來て渡良瀬川の低い所に多く這入つた所があつたが多く這入つた所は
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