れが爲めさう云ふ酷い目に會ふので、人民の性質が惡いから自から滅びるのだと云ふ説を以て頻りに人民の方の攻撃がございますけれども、之は皆買收する方の即ち四十八萬兩の運動者が觸れて歩くのでございまして、人民は如何に意氣地なしだらうが愚だらうがそれは問題でない、人民の愚なものがある所、知識の低い所、天産に衣食するが爲め經濟其他法律上權利の研究と云ふことの乏しい人民であるから自由自在になる、此土地を茲で買收と稱してフンダクツてやらうと云ふ惡黨奴等の擧動が詐僞に當つて居るぞ、盜賊の所爲に當つて居るぞ、殆ど戰爭をする如く、谷中村を攻取るが如き行爲を爲す、此惡業が惡いと云ふのでございます、之が問題である、人民の意氣地のないのが問題でない。(拍手)

     △侮辱[#「侮辱」に丸傍点]、虐待[#「虐待」に丸傍点]、嘲弄[#「嘲弄」に丸傍点]、瞞着[#「瞞着」に丸傍点]

 然らば詰り何をするかと云ふと土地を兼併するのでございます、人民が谷中村と云ふ所に多い割になつて居りますけれども、之に手を入れて堤防を堅牢にして人口を多く致しますと云ふと田地の價が一反歩八百圓九百圓と云ふ値が出ぬに限らぬ、今日と雖も田地の働が六百圓から四百圓若くは二百圓する、去年と雖も二百圓の働を以て六百圓の働をするのでございますから、堤防を堅牢にし水ハケを付けて灌漑の道を付ければ關八州の中では谷中村程善い村と云ふものは先づ二ツとなからうと私は信ずる、周圍には渡良瀬川思川と云ふのがあつて汽船が廻つて村の中から汽船に乘つて東京へ來る、汽船の乘場が四ヶ所ある、マン圓で千町許りが眞ツ平で何でも出來ぬものはない、さう云ふ結構な所が東京を去ること僅か二十里ない所にあると云ふことでございますから、此土地と云ふものは手の入れ次第で非常に善い村になる、彼の稻取村も元とから善い村でないが廢れものを收めて利益を收め世話が屆いたからで、然るに谷中村は今日打壞しに掛つて居るから田地の價もない人間も價のない如く禽獸に等しい扱を受けて居る、虐待侮辱惡い文字を蒙らぬものは一ツもない、政府の方から見ましたならば何と見へるか知らんが、侮辱、虐待、嘲弄、瞞着、總てのことをやられて居る、色々な目に遭つて居る、斯う云ふ目に遭つては人間も價値がない。

     △胸が張り裂ける計り[#「胸が張り裂ける計り」に丸傍点]

 之は順用して天然の資力を十分發達せしめましたならば靜岡の稻取同樣谷中村に越す村がないと云ふことを諸君に斷言する、斯る良い村だから取りたい、之を諸君に御訴へ申した以上は明日倒れましても、私は先づ安心致しますから、直ちに是より又歸つて谷中村に參るのでございます、色々申上げたいことは限りございませぬが、もう如何にも胸が張り裂ける計りでございます、どうか此要點々々に付きまして御記憶を偏に諸君に御願ひ申す次第でございます。(拍手大喝采)
[#地から1字上げ]〔「新紀元」第七号 明治三九年五月一○日〕



底本:「田中正造全集 第三巻」岩波書店
   1979(昭和54)年1月19日発行
底本の親本:「新紀元」第七号
   1906(明治39)年5月10日
初出:新紀元社、例会に於ける演説
   1906(明治39)年4月22日
※「貯水池」と「貯水地」の混在は、底本通りにしました。
※底本は、疑わしいと思われる箇所の右脇に、正しいと思われる形を、ルビのように注記しています。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄
校正:富田倫生
2003年5月13日作成
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