ふから現在人民に與へる金は減じて仕舞ふ、斯樣な譯で、四十八萬兩を以て人民を四方に流離顛沛させて、僅宛を移して居りますけれども、大抵僅の移住費を與へて四方に追散して仕舞つた、何故にさう云ふ風に人民が云ふことを聞くか、餘り意氣地のない人民でないか、斯う諸君の御輕蔑もございませうけれども、之は深く謀つたことでがして、谷中村のことは特に今日御訴へ申したいので、少々の所でも御訴へ申したいので今日出ましたから暫くの間御猶豫を願つて御話したいでございます。

     △先づ衣食金融の道を絶つ[#「先づ衣食金融の道を絶つ」に丸傍点]

 谷中村を買上げると云ふことは三十八年即ち昨年のことです、然るに三十五年堤防が切れたのを幸として堤防を拵へずに居りました、それから當年迄五ヶ年間堤防がございませぬから、水がドツサリ這入つて作物が取れない、それでございますから此間食物がない、非常な借金をしたり艱難辛苦してやつと生活を繋いで居る、所が五年間に少々借金が出來た、所で三十八[#「八」に「〔七〕」の注記]年に至つて縣會が谷中村を買收すると云ふやうな意味の決議をした、さうして三十八年に着手しましたけれども恰も三十五年から人民を水責兵糧攻にして困らして置いて、縣會に於て夜分十二時頃に、何を話したか祕密會で決めたことがある、それが買收の事實である、之を新聞に廣告して地方の新聞に出して仕舞つた、畑は三十兩田は二十八兩と云ふ値を付けた、墓場は一坪一兩、斯ふ云ふ値を付けて新聞に出しましたから最早賣買が止つて仕舞つた、直ぐ隣村の田地が二三百兩する所へ、斯樣な値段で廣告して仕舞つた、だから其以上に高く買ふものはなし、其値でも他村の人は決して田地を買ひませぬ、縣廳で買ふとなつた地面でありますから他村の者は買ひませぬ、殆ど賣買を禁じたるが如く、さうして金融を絶つて仕舞つた、それから一方は借金で攻め尚引續いて水で責めた、斯樣なことで衣食を絶つて金融の道を塞いで一方で此處に來い買つてやると云ふことを始めた、斯樣な譯でがすから人民は迚も其處に居られなくなつた、引續いて三十八年迄四年間食べる物もなし金融の道は塞がつた、仕方がないから殆ど之は逃出すので、逃出すに付いて何程なりとも錢を持つて逃げたい、田地を持つて遁げることも家屋敷を背負つて遁げることも出來ぬから、何程でも錢があれば御授け次第の錢を貰つて餘所へ往きたいと云ふ
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