御話を致しましても、若し實際毒がひどいならば人民は既に竹槍蓆旗にも及びそうなものである、蓑笠を着けて御門訴をしそうなものであると思召しませうけれども、其れが色々な事情に依り、或は縣官郡吏を擒にし、或は地方で有名な者を擒にして壓制を致しますると云ふ次第なので、是は栃木群馬の被害人民ばかりでは無い、隨分中等以上の人間も五十人三十人の團體がございましても、其の頭の方を二三人買收されると、あとはおとなしくなると云ふことは、先づ帝國議會の中には居りませぬけれども、議會の門を出ると然う云ふことがどうも行はれて居る。側から見て居ると如何にも人間の頭では考の付かないことが幾らもございますから、此の被害人民中の悧巧さうな者を捕へてしまへば、あとは聲の立たないと云ふは極つた話。斯の如き事は申したくはございませぬけれども、被害人民の爲に之を辯解するが爲には少しく申さなければならない。
又たも一つは、有形的のものは能く人が氣付く、然れ共無形のものに至ては如何にも氣の付き方が遲かつたのでございまして、氣の付いた時にはもう事が過ぎて居た。彼の岐阜愛知の震災の如き、三陸の海嘯の如き、噴火山爆發の如きは、大抵な馬鹿でも是れは分かる。大臣や何かも飛んで行く、技師も飛んで行く。所が此の鑛毒と云ふ問題はジミなものであるからして、世間で知らない。世間で知らないは據ないが、農商務省が知らなければならぬのに、是を取締るべき所の人達が是を知らぬと云ふに至ては如何なる事であるか。先づ當り前の人間には判斷が六つかしい。尚ほ進んで申しますならば、彼の岐阜愛知の震災、また三陸の海嘯各府縣の洪水は實に慘憺たる有樣でございますが、これは天災である。此の天災と云ふものすら政府は是を處置するでございませう。此の鑛毒事件は天災に加ふるに人爲の加害がありましたならば、人爲の害は人爲で醫すると云ふことは決まつて居る。此の決まつた事をしない。分らない話である。分らない筈だ、人爲で害を與へた事を、又た人爲を以て之を掩ふことが出來るのである。地震の如き天災は人爲を以て押へることは出來ぬが、鑛毒のやうな人爲で加へた毒であるから、又人爲を以て、「毒は無い。」「毒は薄い。」請願人がワイ/\言ふのは皆な洪水を幸にして、あれも鑛毒是も鑛毒と、洪水の害を鑛毒へ引き付けるのだなど言ひ譯する。山師が金を撒き散して働けば、何分樣子を知らない人達は、先きに
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