が道樂なりけり、到底《とても》これに相續は石油藏へ火を入れるやうな物、身代|烟《けふ》りと成りて消え殘る我等何とせん、あとの兄弟も不憫と母親、父に讒言《ざんげん》の絶間なく、さりとて此放蕩子《これ》を養子にと申受る人此世にはあるまじ、とかくは有金の何ほどを分けて、若隱居の別戸籍にと内々の相談は極まりたれど、本人うわの空に聞流して手に乘らず、分配金は一萬、隱居扶持月々おこして、遊興に關を据ゑず、父上なくならば親代りの我れ、兄上と捧げて竈の神の松一本も我が託宣を聞く心ならば、いかにもいかにも別戸の御主人に成りて、此家の爲には働かぬが勝手、それ宜しくば仰せの通りになりましよと、何うでも嫌やがらせを言ひて困らせける。去歳《こぞ》にくらべて長屋もふゑたり、所得は倍にと世間の口より我が家の樣子を知りて、をかしやをかしや、其やうに延ばして誰が物にする氣ぞ、火事は燈明皿よりも出る物ぞかし、總領と名のる火の玉がころがるとは知らぬか、やがて卷きあげて貴樣たちに好き正月をさせるぞと、伊皿子《いさらご》あたりの貧乏人を喜ばして、大晦日を當てに大呑みの場處もさだめぬ。
それ兄樣のお歸りと言へば、妹ども怕《こは》がりて腫れ物のやうに障るものなく、何事も言ふなりの通るに一段と我がまゝをつのらして、炬燵に兩足、醉ざめの水を水をと狼藉はこれに止めをさしぬ、憎くしと思へど流石に義理は愁《つ》らき物かや、母親かげの毒舌をかくして風引かぬやうに小抱卷何くれと枕まで宛がひて、明日の支度のむしり田作《ごまめ》、人手にかけては粗末になる物と聞えよがしの經濟を枕もとに見しらせぬ。正午《ひる》も近づけばお峰は伯父への約束こゝろもと無く、御新造が御機嫌を見はからふに暇も無ければ、僅かの手すきに頭《つむ》りの手拭ひを丸めて、此ほどより願ひましたる事、折からお忙がしき時心なきやうなれど、今日の晝る過ぎにと先方へ約束のきびしき金とやら、お助けの願はれますれば伯父の仕合せ私の喜び、いついつまでも御恩に着まするとて手をすりて頼みける、最初《はじめ》いひ出し時にやふや[#「にやふや」に傍点]ながら結局《つまり》は宜しと有し言葉を頼みに、又の機嫌むつかしければ五月蠅いひては却りて如何と今日までも我慢しけれど、約束は今日と言ふ大晦日のひる前、忘れてか何とも仰せの無き心もとなさ、我れには身に迫りし大事と言ひにくきを我慢して斯くと申ける、御新造は驚きたるやうの惘《あき》れ顏して、夫れはまあ何の事やら、成ほどお前が伯父さんの病氣、つゞいて借金の話しも聞ましたが、今が今私しの宅《うち》から立換へようとは言はなかつた筈、それはお前が何ぞの聞違へ、私は毛頭《すこし》も覺えの無き事と、これが此人の十八番とはてもさても情なし。
花紅葉うるはしく仕立し娘たちが春着の小袖、襟をそろへて褄《つま》を重ねて、眺めつ眺めさせて喜ばんものを、邪魔ものゝ兄が見る目うるさく、早く出てゆけ疾《と》く去《い》ねと思ふ思ひは口にこそ出さねもち前の疳癪したに堪えがたく、智識の坊さまが目に御覽じたらば、炎につゝまれて身は黒烟りに心は狂亂の折ふし、言ふ事もいふ事、金は敵藥ぞかし、現在うけ合ひしは我れに覺えあれど何の夫れを厭ふ事かは、大方お前が聞ちがへと立きりて、烟草《たばこ》輪にふき私は知らぬと濟しけり。
ゑゝ大金でもある事か、金なら二圓、しかも口づから承知して置きながら十日とたゝぬに耄《まう》ろくはなさるまじ、あれ彼の懸け硯の引出しにも、これは手つかずの分と一ト束、十か二十か悉皆《みな》とは言はず唯二枚にて伯父が喜び伯母が笑顏、三之助に雜煮のはしも取らさるゝと言はれしを思ふにも、どうでも欲しきは彼の金ぞ、恨めしきは御新造とお峰は口惜しさに物も言はれず、常々をとなしき身は理屈づめにやり込る術もなくて、すご/\と勝手に立てば正午の號砲《どん》の音たかく、かゝる折ふし殊更胸にひゞくものなり。
お母《はゝ》さまに直樣《すぐさま》お出下さるやう、今朝よりのお苦るしみに、潮時は午後、初産なれば旦那とり止めなくお騷ぎなされて、お老人《としより》なき家なれば混雜お話しにならず、今が今お出でをとて、生死の分目といふ初産に、西應寺の娘がもとより迎ひの車、これは大晦日とて遠慮のならぬ物なり、家のうちには金もあり、放蕩《のら》どのが寐ては居る、心は二つ、分けられぬ身なれば恩愛の重きに引かれて、車には乘りけれど、かゝる時氣樂の良人が心根にくゝ、今日あたり沖釣りでも無き物をと、太公望がはり合ひなき人をつく/″\と恨みて御新造いでられぬ。
行きちがへに三之助、此處と聞きたる白金臺町、相違なく尋ねあてゝ、我が身のみすぼらしきに姉の肩身を思ひやりて、勝手口より怕々《こは/″\》のぞけば、誰れぞ來しかと竈の前に泣き伏したるお峰が、涙をかくして見出せば此子、おゝ
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