金が御座る、人の受けに立ちて判を爲たるもあれば、花見のむしろに狂風一陣、破落戸《ごろつき》仲間に遣る物を遣らねば此納まりむづかしく、我れは詮方なけれどお名前に申わけなしなどゝ、つまりは此金《これ》の欲しと聞えぬ。母は大方かゝる事と今朝よりの懸念うたがひなく、幾金《いくら》とねだるか、ぬるき旦那どのゝ處置はがゆしと思へど、我れも口にては勝がたき石之助の辯に、お峰を泣かせし今朝とは變りて父が顏色いかにとばかり、折々見るや尻目おそろし、父は靜かに金庫の間へ立ちしが頓て五十圓束一つ持ち來て、これは貴樣に遣るではなし、まだ縁づかぬ妹どもが不憫、姉が良人の顏にもかゝる、此山村は代々堅氣一方に正直律義を眞向にして、惡い風説《うはさ》を立てられた事も無き筈を、天魔の生れがはりか貴樣といふ惡者《わる》の出來て、無き餘りの無分別に人の懷でも覗うやうにならば、恥は我が一代にとゞまらず、重しといふとも身代は二の次、親兄弟に恥を見するな、貴樣にいふとも甲斐は無けれど尋常《なみ/\》ならば山村の若旦那とて、入らぬ世間に惡評もうけず、我が代りの年禮に少しの勞をも助くる筈を、六十に近き親に泣きを見するは罰あたりで無きか、子供の時には本の少しものぞいた奴、何故《なぜ》これが分りをらぬ、さあ行け、歸れ、何處へでも歸れ、此家に恥は見するなとて父は奧深く這入りて、金は石之助が懷中《ふところ》に入りぬ。

     ……………………………………………………

 お母樣御機嫌よう好い新年をお迎ひなされませ、左樣ならば參りますと、暇乞わざとうやうやしく、お峰下駄を直せ、お玄關からお歸りでは無いお出かけだぞと圖分《づぶ》/\しく大手を振りて、行先は何處、父が涕《なみだ》は一夜の騷ぎに夢とやならん、持つまじきは放蕩《のら》息子、持つまじきは放蕩を仕立る繼母ぞかし。鹽花こそふらね跡は一まづ掃き出して、若旦那退散のよろこび、金は惜しけれど見る目も憎ければ家に居らぬは上々なり、何うすれば彼のやうに圖太くなられるか、あの子を生んだ母さんの顏が見たい、と御新造例に依つて毒舌をみがきぬ。お峰は此出來事も何として耳に入るべき、犯したる罪の恐ろしさに、我れか、人か、先刻《さつき》の仕業はと今更夢路を辿りて、おもへば此事あらはれずして濟むべきや、萬が中なる一枚とても數ふれば目の前なるを、願ひの高に相應の員數手近の處になく成しとあらば
前へ 次へ
全12ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
樋口 一葉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング