る事とては一から十まで面白くなく覺しめし、箸の上げ下しに家の内の樂しくないは妻が仕方が惡いからだと仰しやる、夫れも何ういふ事が惡い、此處が面白くないと言ひ聞かして下さる樣ならば宜けれど、一筋に詰らぬくだらぬ、解らぬ奴、とても相談の相手にはならぬの、いはゞ太郎の乳母として置いて遣はすのと嘲つて仰しやる斗《ばかり》、ほんに良人といふではなく彼の御方は鬼で御座りまする、御ゥ分の口から出てゆけとは仰しやりませぬけれど私が此樣な意久地なしで太郎の可愛さに氣が引かれ、何うでも御詞に異背せず唯々《はい/\》と御小言を聞いて居りますれば、張も意氣地《いきぢ》もない愚《ぐ》うたらの奴、それからして氣に入らぬと仰しやりまする、左うかと言つて少しなりとも私の言條を立てて負けぬ氣に御返事をしましたら夫を取《とつ》こに出てゆけと言はれるは必定、私は御母樣出て來るのは何でも御座んせぬ、名のみ立派の原田勇に離縁されたからとて夢さら殘りをしいとは思ひませぬけれど、何にも知らぬ彼の太郎が、片親に成るかと思ひますると意地もなく我慢もなく、詫て機嫌を取つて、何でも無い事に恐れ入つて、今日までも物言はず辛棒して居りました、御父樣《おとつさん》、御母樣《おつかさん》、私は不運で御座りますとて口惜しさ悲しさ打出し、思ひも寄らぬ事を談《かた》れば兩親は顏を見合せて、さては其樣の憂き中かと呆れて暫時いふ言《こと》もなし。
母樣《はゝおや》は子に甘きならひ、聞く毎々《こと/″\》に身にしみて口惜しく、父樣《とゝさん》は何と思し召すか知らぬが元來《もと/\》此方《こち》から貰ふて下されと願ふて遣つた子ではなし、身分が惡いの學校が何うしたのと宜くも宜くも勝手な事が言はれた物、先方《さき》は忘れたかも知らぬが此方はたしかに日まで覺えて居る、阿關《おせき》が十七の御正月、まだ門松を取もせぬ七日の朝の事であつた、舊《もと》の猿樂町《さるがくちやう》の彼の家の前で、御隣の小娘《ちひさいの》と追羽根して、彼の娘《こ》の突いた白い羽根が通り掛つた原田さんの車の中へ落たとつて、夫れを阿關が貰ひに行きしに其時はじめて見たとか言つて人橋かけてやい/\と貰ひたがる、御身分がらにも釣合ひませぬし、此方はまだ根つからの子供で何も稽古事も仕込んでは置ませず、支度とても唯今の有樣で御座いますからとて幾度斷つたか知れはせぬけれど、何も舅姑のやかま
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