とほゞ》えすごく、寸隙《すきま》もる風おともなく、身に迫りくる寒さもすさまじ。来《こ》し方《かた》往《ゆ》く末《すへ》、おもひ忘れて夢路をたどるやうなりしが、何物ぞ、俄《にはか》にその空虚《うつろ》なる胸にひゞきたると覚しく、女子《をなご》はあたりを見廻して高く笑ひぬ。その身の影を顧り見て高く笑ひぬ。「殿、我《わが》良人《をつと》、我子《わがこ》、これや何者」とて高く笑ひぬ。目の前に散乱《ちりみだ》れたる文《ふみ》をあげて、「やよ殿、今ぞ別れまいらするなり」とて、目元に宿れる露もなく、思ひ切りたる決心の色もなく、微笑の面《おもて》に手もふるへで、一通《いつゝう》二通《につう》八九通《はつくつう》、残りなく寸断に為《な》し終りて、熾《さか》んにもえ立つ炭火の中《うち》へ打込《うちこ》みつ打込みつ、からは灰にあとも止《とゞ》めず、煙りは空に棚引《たなび》き消ゆるを、「うれしや、我《わが》執着も残らざりけるよ」と打眺《うちなが》むれば、月やもりくる軒ばに風のおと清し。[#地から1字上げ](終)
底本:「全集樋口一葉 第二巻 小説編二〈復刻版〉」小学館
1979(昭和54)年10月1日第1版第1刷発行
1996(平成8)年11月10日復刻版第1刷発行
初出:「毎日新聞」
1895(明治28)年4月3日、5日
※「良人」に対する「をつと」と「おつと」、「女子」に対する「をなご」と「おなご」の混在、旧仮名遣いにはそわないと思われるものも含めて、ルビは全て底本通りとしました。
入力:もりみつじゅんじ
校正:浅原庸子
2003年3月23日作成
青空文庫作成ファイル:
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