相續あそばさせ、樂隱居なされ度おのぞみのよし、これ然るべき事と御親類一同の御決義、私は初手から貴君樣を東京へお出し申すは氣に喰はぬほどにて、申しては失禮なれどいさゝかの學問など何うでも宜い事、赤尾の彦が息子のやうに氣ちがひに成つて歸つたも見て居り候へば、もと/\利發の貴君樣に其氣づかひはあるまじきなれど、放蕩ものにでもお成りなされては取返しがつき申さず、今の分にて孃さまと御祝言、御家督引つぎ最はや早きお歳にはあるまじくと大賛成に候、さだめしさだめし其地には遊しかけの御用事も御座候はん夫れ等を然るべく御取まとめ、飛鳥もあとを濁ごすなに候へば、大藤の大盡が息子と聞きしに野澤《のざは》の桂次《けいじ》は了簡の清くない奴、何處やらの割前《わりまへ》を人に背負せて逃げをつたなどゝ斯ふいふ噂があと/\に殘らぬやう、郵便爲替にて證書面のとほりお送り申候へども、足りずば上杉さまにて御立かへを願ひ、諸事|清潔《きれい》にして御歸りなさるべく、金故に恥ぢをお掻きなされては金庫の番をいたす我等が申わけなく候、前申せし通り短氣の大旦那さま頻《しきり》に待ちこがれて大ぢれに御座候へば、其地の御片つけすみ次第、一日もはやくと申納候、六藏といふ通ひ番頭の筆にて此樣の迎ひ状いやとは言ひがたし。
 家に生拔《はえぬ》きの我れ實子にてもあらば、かゝる迎へのよしや十度十五たび來たらんとも、おもひ立ちての修業なれば一ト廉の學問を研《みが》かぬほどは不孝の罪ゆるし給へとでもいひやりて、其我まゝの徹らぬ事もあるまじきなれど、愁らきは養子の身分と桂次はつく/″\他人の自由を羨みて、これからの行く末をも鎖りにつながれたるやうに考へぬ。
 七つのとしより實家の貧を救はれて、生れしまゝなれば素跣足《すはだし》の尻きり半纏に田圃へ辨當の持はこびなど、松のひで[#「ひで」に傍点]を燈火にかへて草鞋《わらんぢ》うちながら馬士歌《まごうた》でもうたふべかりし身を、目鼻だちの何處やらが水子《みづこ》にて亡せたる總領によく似たりとて、今はなき人なる地主の内儀《つま》に可愛がられ、はじめはお大盡の旦那と尊びし人を、父上と呼ぶやうに成りしは其身の幸福《しやわせ》なれども、幸福ならぬ事おのづから其中にもあり、お作といふ娘の桂次よりは六つの年少《としした》にて十七ばかりになる無地の田舍|娘《もの》をば、何うでも妻にもたねば納まらず、國を
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