ださつぱりしたお前が承知をしてくれゝば最う千人力だ、信さん有がたうと常に無い優しき言葉も出るものなり。
 一人は三尺帶に突かけ草履の仕事師の息子、一人はかわ色|金巾《かなきん》の羽織に紫の兵子帶といふ坊樣仕立、思ふ事はうらはらに、話しは常に喰ひ違ひがちなれど、長吉は我が門前に産聲を揚げしものと大和尚夫婦が贔屓もあり、同じ學校へかよへば私立私立とけなされるも心わるきに、元來愛敬のなき長吉なれば心から味方につく者もなき憐れさ、先方は町内の若衆どもまで尻押をして、ひがみでは無し長吉が負けを取る事罪は田中屋がたに少なからず、見かけて頼まれし義理としても嫌やとは言ひかねて信如、夫れではお前の組に成るさ、成るといつたら嘘は無いが、成るべく喧嘩は爲ぬ方が勝だよ、いよ/\先方《さき》が賣りに出たら仕方が無い、何いざと言へば田中の正太郎位小指の先さと、我が力の無いは忘れて、信如は机の引出しから京都みやげに貰ひたる、小鍛冶の小刀を取出して見すれば、よく利《き》れそうだねへと覗き込む長吉が顏、あぶなし此物《これ》を振廻してなる事か。

       三

 解かば足にもとゞくべき毛髮《かみ》を、根あがりに堅くつめて前髮大きく髷おもたげの、赭熊《しやぐま》といふ名は恐ろしけれど、此髷《これ》を此頃の流行《はやり》とて良家《よきしゆ》の令孃《むすめご》も遊ばさるゝぞかし、色白に鼻筋とほりて、口もとは小さからねど締りたれば醜くからず、一つ一つに取たてゝは美人の鑑《かゞみ》に遠けれど、物いふ聲の細く清《すゞ》しき、人を見る目の愛敬あふれて、身のこなしの活々したるは快き物なり、柿色に蝶鳥を染めたる大形の裕衣きて、黒襦子と染分絞りの晝夜帶胸だかに、足にはぬり木履《ぼくり》こゝらあたりにも多くは見かけぬ高きをはきて、朝湯の歸りに首筋白々と手拭さげたる立姿を、今三年の後に見たしと廓がへりの若者は申き、大黒屋《だいこくや》の美登利《みどり》とて生國《しやうこく》は紀州、言葉のいさゝか訛《なま》れるも可愛く、第一は切れ離れよき氣象を喜ばぬ人なし、子供に似合ぬ銀貨入れの重きも道理、姉なる人が全盛の餘波《なごり》、延いては遣手新造《やりてしんぞ》が姉への世辭にも、美《み》いちやん人形をお買ひなされ、これはほんの手鞠代と、呉れるに恩を着せねば貰ふ身の有がたくも覺えず、まくはまくは、同級の女生徒二十人に揃ひのごむ鞠を與へしはおろかの事、馴染の筆やに店ざらしの手遊を買しめて、喜ばせし事もあり、さりとは日々夜々の散財此歳この身分にて叶ふべきにあらず、末は何となる身ぞ、兩親ありながら大目に見てあらき詞をかけたる事も無く、樓の主が大切がる樣子《さま》も怪しきに、聞けば養女にもあらず親戚にてはもとより無く、姉なる人が身賣りの當時、鑑定《めきゝ》に來たりし樓の主が誘ひにまかせ、此地に活計《たつき》もとむとて親子|三人《みたり》が旅衣、たち出しは此譯、それより奧は何なれや、今は寮のあづかりをして母は遊女の仕立物、父は小格子《こがうし》の書記に成りぬ、此身は遊藝手藝學校にも通はせられて、其ほうは心のまゝ、半日は姉の部屋、半日は町に遊んで見聞くは三味に太皷にあけ紫のなり形、はじめ藤色絞りの半襟を袷にかけて着て歩るきしに、田舍者いなか者と町内の娘どもに笑はれしを口惜しがりて、三日三夜泣きつゞけし事も有しが、今は我れより人々を嘲りて、野暮な姿と打つけの惡まれ口を、言ひ返すものも無く成りぬ。二十日はお祭りなれば心一ぱい面白い事をしてと友達のせがむに、趣向は何なりと各自《めい/\》に工夫して大勢の好い事が好いでは無「か、幾金《いくら》でもいゝ私が出すからとて例の通り勘定なしの引受けに、子供中間の女王《によわう》樣又とあるまじき惠みは大人よりも利きが早く、茶番にしよう、何處のか店を借りて往來から見えるやうにしてと一人が言へば、馬鹿を言へ、夫れよりはお神輿《みこし》をこしらへてお呉れな、蒲田屋《かばたや》の奧に飾つてあるやうな本當のを、重くても搆はしない、やつちよいやつちよい[#「やつちよいやつちよい」に傍点]譯なしだと捩ぢ鉢卷をする男子《おとこ》のそばから、夫れでは私たちが詰らない、皆が騷ぐを見るばかりでは美登利さんだとて面白くはあるまい、何でもお前の好い物におしよと、女の一むれは祭りを拔きに常盤座《ときはざ》をと、言いたげの口振をかし、田中の正太は可愛らしい眼をぐるぐると動かして、幻燈にしないか、幻燈に、己れの處にも少しは有るし、足りないのを美登利さんに買つて貰つて、筆やの店で行《や》らうでは無いか、己れが映し人《て》で横町の三五郎に口上を言はせよう、美登利さん夫れにしないかと言へば、あゝ夫れは面白からう、三ちやんの口上ならば誰れも笑はずには居られまい、序《ついで》にあの顏がうつると猶おもしろいと相談
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