つるはと、俄《には》かにそのわたり恋しう涙ぐまるゝに、友に別れし雁|唯一《ただひと》つ、空に声して何処《いづこ》にかゆく。さびしとは世のつね、命つれなくさへ思はれぬ。擣衣《きぬた》の音《おと》に交《まじ》りて聞えたるいかならん。三《み》つ口《くち》など囃《はや》して小さき子の大路を走れるは、さも淋しき物のをかしう聞ゆるやと浦山《うらやま》しくなん。
虫《むし》の声《こゑ》
垣根《かきね》の朝顔やう/\小さく咲きて、昨日今日|葉《は》がくれに一花《ひとはな》みゆるも、そのはじめの事おもはれて哀れなるに、松虫すゞ虫いつしか鳴《なき》よわりて、朝日まちとりて竈馬《こほろぎ》の果敢《はか》なげに声する、小溝《こみぞ》の端《はし》、壁の中など有るか無きかの命のほど、老《おい》たる人、病める身などにて聞《きき》たらば、さこそ比らべられて物がなしからん。まだ初霜は置くまじきを、今年は虫の齢《よは》ひいと短かくて、はやくに声のかれ/″\になりしかな。くつわ虫はかしましき声もかたちもいと丈夫《ぢやうぶ》めかしきを、何《いつ》しか時《とき》の間《ま》におとろへ行くらん。人にもさる類《たぐ》ひはありけりとをかし。鈴虫はふり出《いで》てなく声のうつくしければ、物ねたみされて齢《よは》ひの短かきなめりと点頭《うなづ》かる。松虫も同じことなれど、名《な》と実《じつ》と伴はねばあやしまるゝぞかし。常盤《ときは》の松を名に呼べれば、千歳《ちとせ》ならずとも枯野の末まではあるべきを、萩《はぎ》の花ちりこぼるゝやがて声せずなり行く。さる盛りの短かきものなれば、暫時《しばし》も似《あへ》よとこの名は負《おは》せけん、名づけ親ぞ知らまほしき。
この虫|一《ひと》とせ籠《こ》に飼ひて、露にも霜にも当てじといたはりしが、その頃《ころ》病ひに臥《ふ》したりし兄の、夜《よ》な/\鳴くこゑ耳につきて物侘《ものわび》しく厭《いと》はしく、あの声なくは、この夜《よ》やすく睡《ねむ》らるべしなど言へるも道理《ことわり》にて、いそぎ取《とり》おろして庭草の茂みに放ちぬ。その夜《よ》なくやと試みたれど、さらに声の聞えねば、俄《には》かに露の身に寒《さぶ》く、鳴くべき勢ひのなくなりしかと憐《あは》れみ合ひし、そのとし暮れて兄は空《むな》しき数に入《い》りつ。又の年の秋、今日ぞこの頃《ごろ》など思《おも
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