を歩いても心は賑ふ。
毎日通る道も
眞白く清められて
新らしく人の目を惹き
何ものか心に忍び入る如く
暫らく會は無い
空のあなたの遠い人々も思ひ出して
心は嬉しく、世界は賑ふ。
おゝ若々しい五月の朝よ
男も女も若きも老いたるも均しく
活氣づいて、清い空氣の中を
そよぎつゝ歩き行く時
われは感ず、祝祭のごとき喜びを
おゝ五月の朝明け空の若々しさ
雲は靜かに現はれ來り
高いところを小さく列りつゝ幽かに滑りゆき
天地は靜かに行列しつゝ
運行す
[#地から1字上げ](一九一八、五、四日)
落葉
或朝、起きて見ると
裏の空地、一杯落葉して居た。
地面が僅か一處、現はれて居る程、地を埋めて
落葉は普通より大きく見えた。
日に反りかへつて皆んな裏返しになつて地面の上に載つて居た。
葉の落ちつくした木は明るくなつて居た。
それだけの葉の落ちた騷ぎはどこにもなかつた。
落ちた夥しい木の葉は少しも動か無い、死んだまゝ。
地面も微塵も動か無い
空も立木も動か無い。
靜かに日が當つて居た。死んだやうに。
空地の隅の日和には白い犬が足を投げ出して
昨夜の雨で汚れた毛を舐めて居た。
自分は奇蹟を思つた。
全く奇蹟だ。
この澤山の落葉は生命の過剩を思はした。
然うして大地と落葉との輕い接觸點に
自分は滲み出すやうな愛を感じた。
大地はその落ちた葉の中に埋れて靜かにそれを載せて浮んで居た。
動かない光りの中に。
格鬪
或る夜、月は傾き落ちて
空には春が來るらしい底知れ無い青い光の反射の中に
星は紅色の魚のやうに
落ち相に低くたゞよつて居た。
自分は一人で烈しい霜解け道を惱んで歩いた
まるで登山でもする樣に
二三寸の土の上を上つたり下りたりした。
自分は突然大地と爭つてゐる愉快を感じた
自分は可笑しくなつて笑つたり、怒つたりし乍ら
長い間かゝつて一つ道を歩いて行つた。
至る處で大地とこね合つた。
笑ひ崩れ乍ら、倒れたり、起き上つたり
格鬪し乍ら歩いた。
家へ歸つても尚自分は笑つてゐた。
朝
朝だ。
重々しいものを優しく包んだやうな莊嚴な朝だ。
自分は山の上にでも居る樣に、
心は輕く歩いてゆく。體はそれに從つてゆく。
一日一日春らしく温くなる水蒸氣に包まれ
樹々はうねりを生じ輕快に高く空に立ち上り
靜かに道の上に枝を垂らして居る。
まるで空中から舞ひ下りた天使のやうだ。
このうねりの春らしい美くしさ、朝らしい靜かな喜び、
空は光りをはらんで霞んで居る。
眠りから覺めた許りの地面は
しつとりと汗を掻いてゐた。
人通りは未だすくない。
空に消えてゆく水蒸氣の中から雄大な景色が目ざめ
だん/\遠くの方がはつきりして
そこから人が現はれて來る。人數も殖えて來る
この大きな朝の世界に比べれば、
可笑しいほど小さい人間が
鳥のやうに、思ひ/\の方向へ歩いて居る
自分は擴大され、變化された
大きな祝福に滿ちた朝景色の中を
面白く嬉々として歩いてゆく。
[#地から1字上げ](一九一八、三、使命所載)
夕暮
夕暮
天上は騷ぎだ。
太陽が沈む波動で
上騰して居た空氣が穴を明ける。
その中で空は青い眼を閉ぢる樣に
衰へ乍ら、幽かにふるへて此世から遠退く。
今見てゐるのは幻のやうに。
地上は靜かだ
擴大された道路の上に
人間は安らかに、靜かに歩いて居る。
佇んだり、しやがんだり、歩いたりして居る
ある可き處にある樣に
眞實に美くしくいろ/\の形をして居る。
そこへ寒い風が落ちて來て至らぬ隈も無く吹き廻しては消えて行く。
攫れたやうに人が居なくなる。
空は見る見る燃えつきて暗くなり
すつかり眼を閉ぢる。
春の夜
春のやうな夜だ。
もの柔かな
自分の好きな春の夜だ。
自分は今夜も遲くまで眠ら無いで居る。
こんな晩には自分は眠られ無い者も不幸とは思はない。
他人の幸福も自分には羨やましく響かない
自分は空想をほしいまゝに刺撃して
小供の樣に勝手氣儘に遊んで居る。
時間はたつぷりと有り餘つて居る。
空想も有り餘つて居る。
妻子は一緒に書齋の隅に眠つて居る
健康に溢れて居る二人は
暖いので蒲團をはいで
不調ひな鼾をかいて居る。
只時々小供が咳をするのが氣になる限り
自分はこの靜かな春の夜を
誰にも邪魔をされずに
小供が眠るのを厭がる樣に
用も無いのに眠るのが惜しくて起きて居るのだ。
こんな時、
母が居たらば
きつと、「もう御休みなさい」と心配するに違ひ無い。
その癖後では人に向つて
「勉強家ですよ」と話して居る
あゝ春の夜だ。
四五年前の、十年も前のあの春の夜と同じ春の夜だ。
こんな晩には
幼稚な古臭い情緒にすら
自分の心は素直に動かされてわけも無く感激する涙すら浮んで來る。
じつと耳を澄すと
戸外ではそれでも少しづゝ動搖がある。
遠くでは犬が吠えて
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