つて雲の間から星が見える
何を自然は企んでゐたのか
自分達は明日の天氣を告げ合つて
別れて歸る。
[#地から1字上げ](一九一六、九、二一日)
冬の朝
今年になつてから珍らしい寒さだ。
雲が多いので日が未だ地上に屆か無いのだ。
雀までも巣から飛び出さないのか聲がしない、
いつも勉強の納豆賣ももう通つてしまつたのか、
こつちが寢過したのだ。
起きて見ると日はもう登つて居るので、
凍え死んだ樣な雲がだん/\色づけられて、
漸つと動き出す地上ではところどころでずるい雀の聲がする、
人間は午後からのすばらしい天氣を見越して
生きかへる樣に喜び、
珍らしい寒さを元氣づいた聲で口々に語り合つて居る。
その内に雲はすつかり蘇生して
旅を續けて何處かへ滑つて行つて仕舞ふ
霜に飾られた木々の梢が、濃やかにぼかされて
雀は屋根の上に飛び出して來て揃つて啼き出す
啼く音がだん/\高くなる。
家の中は人が居なくなつたやうに靜かだ。
寢飽きた赤ん坊が床の中で一人言を云つて居る
[#地から1字上げ](一九一六、一二、二二日)
夕暮の一時
冬の宵の口である。
朝から吹き通した寒い北風はぱつたり止んで
室の中も外も靜かになつた。
深林か谷底の樣に
自分は机の前に坐つて居る。
妻は側に赤ん坊を抱いて坐つてあやして居る。
赤ん坊は妻の胸に首を埋めてゐる。
小供は眠たいのだ。半分頭はねむつて居るのだ。
心は夢の境を辿つて居るのだ。だが彼は落着かない。
急に何か活動しかける。鼻を鳴らす。
自分の心も落着かない。妙に苦るしい。然うして寂しい。
疲れ切つた妻は一生懸命に歌をうたつて居る。本當に向きになつて
それを聞いて居ると自分の眼にも涙が滿ちて來る。心は重たい。
これが幸福なのかしら、この苦るしさと悲しさが。
何か爲なくてはならない事がある氣がする。
誰かに罪があるやうな氣がする。
誰にも謝り度い氣がする。
あゝこの苦るしい夕暮の一時。
神よ吾等の罪を宥し給へ。
吾等をみ心のまゝに導き給へ。
[#地から1字上げ](一九一六、一二、九夕)(青空所載)
雀
親鳥が巣にかへる時
待ち受けた小さい雛は黄い口を裂ける程開いて
夢かと許りに喜んで啼き、その喜びに死んでもいゝと喜んで啼き、
あらゆる感動の階音を刻んで啼き
全身を緊張させ、ふるはせ、未だ飛べない羽を空に向つて擴げ、
感謝と喜びを示し
親鳥から餌を與へて貰はうとする、
もどかし相なその姿は實に親しげだ。實に優しい
その急がしい窒息する樣な聲も、
その待ち切れないで落着かぬ氣の狂ひ相な身ぶりも、
嬉しさに千切れるほどふるふ羽も
小さい全身に滿ちる喜びを有り餘る程現はし、
親しさをこぼし、然し餘り小さく、
あゝ餘りに小さくて
その生きようとする樣は、人に哀れを起さしめる。
[#地から1字上げ](一九一六、七、一五)
夜の太陽
或夜
母の膝に小供は腰をかけて運動してゐる
その顏は赤く輝いて笑つて居る
うしろから小供にそつくりな母の顏も快く笑ふ
健康に滿ち溢れた力強い美しさ
赤い夜の光の艶々しさ
今は見え無い太陽が
夜を貫いてこゝに愛撫の手をのべる。
二人の首を飾るのもその輝きだ。
岩疊な顏に優しく溢れる血汐の喜び
どこにも不健康のしるしは見られ無い
力を出しすぎる位
いくらでも笑ひつゞけてゐる小供と母の顏
樂々とした笑ひの中に肉が躍り
神々の喜びがゆらぐ
肉體を精神が活氣づける。
心靈の波が深いところから溢れて來るやうだ。
死せる者も甦らうとするやうに
此世に爭つて顏を出す
亂れて湧きかへる力強い心靈の波
波の中から此世に生れる歡喜の姿
赤き夜の光りに輝く
母と子の笑ひの美しさ
[#地から1字上げ](一九一七、一二、三一)
[#地から1字上げ](以下十三篇、使命所載)
冬
太陽は日に日に遠くなる
急いで空を走つて行くのが眼にまで見ゆる
日はだん/\と短くなり
晝間の中から月が出る。
母體に小供がたまつた樣に凡てのものが
逆まになつて凝結して眠り
野に出て見れば小川はせつせと流れ
岸に簇る木立はすつかり葉を落し盡して一番早く大膽な眠りにつき
小鳥の聲が美しく小さく響く。
町に出て見れば
往來には人通りが減つて來た。
小供が默つて足音も無く通つた。
大膽に月の世界から來たやうに
皆んな默つて行來してゐる。
人の上にも冬が來た。
もう浮いた話は聞かれない
人はにんしんした女房の眠るのを叱ら無い夫のやうに
忠實《まめ》に働く許りだ。
神聖な眠りをさまさないやうに。
猿
自分のあとになり、先きになり
女の猿廻しが二人連れ立つて夕暮の町を歩いて行く
男のやうに筒袖を着て、白い脚絆に鞋かけ、スタ/\と歩いてゆく、
脊中に脊負つた辨當箱の上に一匹猿が横向きに乘て居る。
薄桃色の顏と同じ色の可
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