然うして金を手の内に握つた儘、渡す事が出來なかつた。
そこへどこかから一枚の藁を女が引ずつて來て
「これ切りないのだから之で堪忍して下さいよ」と云つた。
彼の男は禮を云つた。
然うして足の方が寒いから足の方へかけてくれと云つた。
女はその通りにした。
「贅澤な奴」と書生は苦笑した。
彼はもう默つてしまつた。落着いて眠る樣に
然うして皆んな去つた。
青年もプイと去つた、心が變つた樣に
然し青年の胸には彼の云つた言葉や動作が殘つた
その切れ/″\のふるへ聲が殘つた
彼にはあゝ云ふ權利があるのかと青年は考へた
自分を貧乏の書生と思つてあゝ云つたのか
彼には本當の事がわかるのだらうか、
然う思つて青年は恥づかしい氣がした
然うして未練に責められ乍ら
ふと晴れ渡つた空を見て
「地面の方が人間より暖いだらうな」と云ふ考へが浮んだ。
青年は彼の言葉を思ひ出す度びに涙ぐんだ
自分の不甲斐なさを感じた。
彼の卒直な我儘は自分の餘裕のある慈善心より本當だと思つた。
彼は本當の事を教へてくれたと思つた。
[#地から1字上げ](一九一八、三、二七)

  夢のシイン

あゝ春だ。日は未だ淺いけれど
地面を踏めば萬感が湧き起る
黒くしめつた空地には一杯青い平べつたい草が萌え出した。
踏むのが勿體無い氣がする
何故なら其處には幸福がある氣がするから
何と云ふ靜かさの中に
自然が春を裝ふのだらう
木も草も空も萌えた色をしてゐる
夢のシインのやうだ。
昔の人が空に浮ぶ雲を女神の衣裳に例へたのも道理だと思ふ。
自分はこの春の仕度にいそがしい
萬物の中を一人家を出てさまよひ歩りく
至る處に自然の惠みを感じる
疲れ切り乾ききつた自分の體の骨に感じるやうに
柔げられた春は外から浸み込み
内には萬感が起る。
恨みも反感も、憎みも本當に消えてしまふ。
あれは皆んな體が惡かつた故の氣がする。
人々の上を思つて涙ぐみ、幸福を祈る
有難い春だ。
まつたく攝理を示してゐる
然し或日、
自分は尚冬の名殘の淋しさがそこらに見える郊外を歩いた。
自分の心は洗はれた。しみ/″\した。
然うして思はぬ遠歩きをして場末の街道の方へ出た時
自分は道の向ふを來る亂髮のぼろをまとつた女と、
その手を曳いて六歳位の男の子が來るのに出會つた。
自分は「うん」と唸つて立止つた。
目がくらんでしまつた。
つむじ風に身體を卷かれたやうに
腹の内
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