ち捨てる
この混亂の中で人は熱情を露骨にする
女も男も急がしくその用に追はれて歩いて居る
自分もこの混亂の美に加る。
この人波に飛び込むとわけも無く歩いて行ける
自ら足がどこかへ向く
不思議なやうに道が誘つてくれる。
道を横切る者、混雜をよけて道端を行く者
後ろ向きの人、前向きの人
眞直ぐに歩いて來る近き、遠き男女の顏々
この雜沓の中で
馬子は荷馬車を道の隅に待たして知り人の家の前で話して居る。
ゴタ/\通る百姓が荷馬車にけんつくを食はして行く
馬は前足を二本合はして縛られた綱を
無器用にゆるめ解かうとして居る。
氣のついた馬子は食はへ煙管で呑氣に道を横切つて行つて、
しつかり結へ直し、又話の續きをやりに歸つて行く。
馬は知らん顏して遠くの方を見てゐる
乘合馬車も通る。滿員だ。
二匹の馬は互に鼻づらを合はせつこして
歩きづら相に鞭でたゝかれて走つて行く。
馬車が通り過ぎるとその間立止つて居た人が澤山
馬車の蔭からゾロ/\現はれて歩き出す、
驚いた羊の樣に小走りに走り出るのは女だ。
皆んな馬車に乘らないで板橋の方から東京へ行く百姓の家族だ。
この暖いのにやたらに着込んで尻をはしよつて居る
首をあげて悠々と歩いてゆく
このゴタ/\した往來を美しい女が通る
燃える樣に美くしい、皆んなの眼がそこへ集る。
美くしい女は平氣で雜沓の中を自由自在に通る
女の通つてしまつた向ふに草原が見える。
白い雲が遠くの空に浮んで輝いて居る
原の片隅には人の屋敷の垣根がつゞき、
青い木が茂つてゐる
日の光りがそこではもう夏らしい
冬中殘つた木の葉が青々として、
日に日に柔かになつて來る空氣に調和して居る。
往來には蔭を選んで肥桶車が休んでゐる
若い百姓が片足を折つて其の上に梶棒を休ませて
手拭で顏を拭いてゐる
日の光りが降りかゝつて眠つてゐる樣だ。
四邊が急に靜かになる
どこか遠くで雀が一羽鳴いてゐる
向ふの原の隅を小供が三四人連れ立つて
道草を食つて歩いてゐる
時々笑ふ聲が空氣を驚かす
春だ、春だ。
ぬくめられた空氣が際限もない空から
太陽の周りからどん/\湯のやうに微妙に注いで來る
自分は抵抗する事が出來ない力を身の内に感じる
頭がボンヤリして心が切れ/″\にいろ/\の事を思ひ出す
永くはつゞかない。現はれては消える
どん/\空氣と一緒に流れて行く
一人でセツセと歩いてゆく
誰も見てもしな
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