うと思う。
 そうして、或る言語を形づくる音単位は或る一定数にかぎられ、その全体が組織をなすということは、既に述べたが、それは、実は音節についてであったが、音節を形づくる単音について見てもまた同様である故、音節を基本的のものと認める場合にも、単音を基本的のものと認める場合にも、同様に、或る言語を形づくる音単位全体を音韻組織または音韻体系となづけてよいのである。
 さて右に述べたような音韻組織は、国語の違いによって違っているばかりでなく、同じ国語に属する種々の言語、例えば各地の方言の間にも相違があるのであって、それらの言語を形づくる箇々の音韻の数も必ずしも同じでなく、一つ一つの音韻も必ずしも一致しない。例えば、東京語はシとスとの二つの音を区別するのに、東北方言では、これを同じ一つの音とし、その発音は東京のシにもスにも同じくない一種の特別の音である。また東京語のカに当るのは、九州方言ではカとクヮとの二つの音韻であって、クヮの音は東京語には存在しない。
 音韻組織は同じ言語においても時代によって変化する。前の時代において二つの違った音であったものが音変化の結果後の時代に至って一つの音となることがあり(イとヰは古くは別の音であったのが、後には共にイの音となって区別が失われた)、前代に一つの音であったものが後代には二つの別の音にわかれることもある(「うし」の「う」と「うま」の「う」とは古くは同じウの音であったが、「うま」の場合は後には「ンマ」の音に変じて、ウとンと二つの音になった)。また、或る音韻が後代においては全くかわった音になるものもある(「ち」は古くはtiの音であったが、後には現代のごときチの音になった)。かように箇々の音の変化によって、あるいは数を増しあるいは数を減じ、あるいは一の音が他の音になって、前代とはちがった音韻組織が生ずるのである。
 既述のごとく、箇々の語のような、意味を有する言語単位の外形は、以上のような音または音韻の一つで成立つかまたは二つ以上結合して成立つものであるが、その場合に、或る音は語頭、すなわち語の最初にしか用いられないとか、または語尾、すなわち語の最後にしか用いられないとかいうようなきまりがあることがある。これを語頭音または語尾音の法則という。また、或る音と或る音とは結合しないというようなきまりがあることがある。これを音結合の法則という。また語と語とが結合して複合語を作りまたは連語を作る時、その語の音がもとのままでなく、多少規則的に転化することがある。これを複合語または連語における音転化の法則という。
 以上のようなきまりはすべて連音上の法則というべきであるが、これは、言語の違うに随って異なると共に、同じ言語にあっても、時代または時期の違うに従って変遷するものである。国語の音韻の変遷を考えるには、単に一々の音の時代的変化ばかりでなく、かような諸法則の変遷をも考えなければならない。
 以下、国語音韻の変遷の大要を述べるに当って、時代を三期にわける。奈良朝以前を第一期とし、平安朝から室町時代までを第二期とし、江戸時代から現代までを第三期とする。かように三期にわけたのは、各期の下限をなす三つの時代、すなわち奈良朝と室町末期と現代とが、他の時代との関係なくしてそれだけで比較的明らかにその音韻組織を知ることが出来る時代であって、これを互いに比較すれば、その間に生じた音韻変化の大綱を推知し得られ、しかもこれに続く時代との間にはかなり音韻状態の相違が認められるので、ここで時期を劃する[#「劃」は底本のまま。「画」の旧字体。128−12]のを便宜と考えたからである。もとよりこれは便宜から出たものである。今後、各時代各時期の音韻状態がもっと明確に、もっと詳細に知られる時が来たならば、もっと多くの時代に分けることが出来るであろう。

     二 第一期の音韻

 第一期は奈良朝を下限とする各時代である。当時は文字としては漢字のみが用いられたので、当時の音韻の状態を知るべき根本資料としては、漢字をもって日本語の音を写したものだけである。そうしてかような資料は、西紀三世紀の頃の『魏書《ぎしょ》』をはじめとして、支那歴代の史書や、日本の上代の金石文《きんせきぶん》などの中にもあるけれども、それらはいずれも分量が少なく或る一時代の音韻全般にわたってこれを知ることは出来ない。奈良朝にいたって、はじめてかような資料が比較的豊富に得られるのであるから、第一期の音韻を研究しようとするには、どうしても先ず奈良朝のものについてその時代の音韻組織を明らかにし、これを基礎として、それ以前の時代に溯るのほかないのである。
 一 奈良朝の音韻組織
 奈良朝時代の文献の中に、国語の音を漢字(万葉仮名)で写したものを見るに、同じ語はいつも同じ文字で書
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