<mya><ryo>など)になったのも、やはり同種の変化と見ることが出来ようと思う。そうして今日のように、どんな母音でも自由に語中語尾に来ることが出来るようになったのは第三期江戸時代以後らしい。かように見来たれば、右のような母音の連音上の性質は、かなり根強かったもので、それがために、従来なかったような多くの新しい音が出来たのである。
(四) 唇音退化の傾向は国語音韻変遷上の著しい現象である。ハ行音の変遷において見られるpからFへ、Fからhへの変化は、唇の合せ方が次第に弱く少なくなって遂に全くなくなったのであり、語中語尾のハ行音がワ行音と同音となったのは唇の合せ方が少なくなったのであり、ヰヱ音がイエ音になり、また近世に、クヮグヮ音がカガ音になったのも、「お」「を」が多分woからoになったろうと思われるのも、みな唇の運動が減退してなくなったに基づく。かように非常に古い時代から近世までも、同じ方向の音変化が行われたのである。
(五) 外国語の国語への輸入が音韻に及ぼした影響としては、漢語の国語化によって、拗音や促音やパ行音や入声のtやン音のような、当時の国語には絶無ではなかったにしても、正常の音としては認められなかった音が加わり、またラ行音や濁音が語頭に立つようになった。また西洋語を輸入したために、パ行音が語頭にも、その他の位置にも自由に用いられるようになった。
音便と漢語との関係は、容易に断定を下し難いが、多少とも漢語の音の影響を受けたことはあろうと思う。
(六) 従来の我が国の学者は日本の古代の音韻を単純なものと考えるものが多く、五十音を神代以来のものであると説いた者さえある。しかるに我々が、その時の音韻組織を大体推定し得る最古の時代である奈良朝においては、八十七または八十八の音を区別したのであって、その中から濁音を除いても、なお六十ないし六十一の音があったのである。それらの音の内部構造は、まだ明らかでないものもあるが、これらの音を構成している母音は、五十音におけるがごとく五種だけでなく、もっと多かったか、さもなければ、各音は一つの母音かまたは一つの子音と一つの母音で成立つものばかりでなく、なお、少なくとも二つの子音と一つの母音または一つの子音と二つの母音から成立つものがあったと考えるほかないのであって、音を構成する単音の種類または音の構造が、これまで考えられ
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