はなく京都語ないし近畿の方言であるから、これと比較して変遷を考えなければならない。
一 第三期における音韻の変遷
(一) 「ぢ」「づ」は室町末期までは<dji><dzu>の音であり、「じ」「ず」は<ji><zu>の音であって両者の間に区別があった。もっとも、室町時代でも、京都では、この両種の音が近くなってこれを混同するものもあったのであるが、これを区別するのが標準的発音であるとせられたのである(日本西部の方言では区別していた)。しかるに江戸初期においてはこれを全く混同するにいたった。それは「ぢ」「づ」の最初のdが弱くなって遂に「じ」「ず」と同音に帰したのである(それ故、江戸初期から「ぢ」「づ」「じ」「ず」の仮名遣が説かれている)。ただし、右の諸音の区別は今日でも九州土佐の諸方言には残っている。
(二) ア段音とウ音とが合体して出来たoの長音は開音o[#「o」の上に「v」]であり、エ段音またはオ段音とウ音との合体して出来たoの長音は合音o[#「o」の上に「−」]であって、その間に区別があったことは既に述べた通りである。室町末期までは大体その区別が保たれていたが、既に室町時代から両者を混同した例も多少あって、その音が近似していたことを思わせるが、江戸時代に入ると早くもこの両者の別がなくなって、同音に帰したのである。開音のo[#「o」の上に「v」]が開口の度を減じてo[#「o」の上に「−」]と同音になったのである(かようにして、江戸初期から、開合の仮名遣が問題となるにいたった)。この両種の音は、現代の新潟県の或る地方の方言には残っている。
(三) ハ行音は、第二期の末までは、ファフィフゥフェフォのようにFではじまる音であったが、江戸時代に入って次第に変化を生じ、唇の合せ方が段々と弱くなり、遂には全く唇を動かさずして、これと類似した喉音hをもってこれに代えるようになった。京都方言では享保・宝暦頃には大体h音になっていたようであるが、元禄またはそれ以前に既にh音であったのではないかと思われるふしもある。しかし、第二期におけるごときハ行音は、遠僻の地の方言には今日でもまだ存している。
(四) 「敬《けい》」「帝《てい》」「命《めい》」のようにエ段音の次にイ音が来たものは、文字通りケイテイメイと発音していたのであるが、江戸後半の京都方言では、エ段の母音eとiとが合体して
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