発音上の区別が失われたのみでなく、仮名としても区別なく、それを仮名で書きわけることも出来ないものである。昔のア行のエの音も、ヤ行のエの音も、同じように「え」の仮名で書いて、我々はそんな区別があろうとも考えない。その「え」が、古い時代においては立派に二つに分れて、互いに混ずることがなかったということが判ったのであります。
 この「え」の二種の別は、五十音図におけるア行のエとヤ行のエとの別に相当するものですが、それでは、五十音図において区別せられているようなあらゆる音の区別が皆古い時代にあったかというと、そうでもない、前に述べたように、ア行の「い」とヤ行の「い」およびア行の「う」とワ行の「う」の区別は昔もなかったのであります。昔の国学者には五十音図というものは非常に古いものであって、神代からあったものであるというようなことを考えておった人もあります。しかし五十の音を言い分けるということは、神代はどうだか知りませぬけれども、我々が普通溯ることが出来る時代――これはまあ実際においては大体|推古《すいこ》天皇までぐらいであろうと思います。それより以前は、その辺からずっと眺め渡すことが出来るかも知れませぬけれども、直接に知るということはむずかしいのであります――先ず推古天皇の頃まで溯っても、五十の音がことごとく別々に使われ言い分けられておったということはなかったと思うのであります。そうかといって「いろは」では少し足りない。すなわち「いろは」ならば四十七の区別でありますが、ア行の「え」と、ヤ行の「え」は区別があるのでありますから「天地《あめつち》の詞《ことば》」の四十八音ならばよいのであります。そういうような訳で、結局この伊呂波歌とか、あるいは天地の詞というものは、昔の人が区別して仮名を使っておった、その仮名の区別を代表するものでありますけれども、五十音図はすぐにはそれを代表しないものであるということが判るのであります。このア行の「エ」とヤ行の「エ」は後世の片仮名や平仮名では区別せられず、そんな仮名によっては判らなかったのを、その区別があることを見出した。これを見出したのはどうして見出したかというと、古い時代の万葉仮名について、「え」に当る色々の万葉仮名の一つ一つについて、この字はどういう場合に用いられているか、どういう語に用いられるかというようにして調べて行く。そうすると、或る
前へ 次へ
全62ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
橋本 進吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング