遇は大変よくなったわけで、大勢の男女子をかかえて一家を支えて行く上からは父母の行くべき道は苦しくともこの道を執らなくてはならなかったに違いない。私の母は非常にしっかり[#「しっかり」に傍点]した行届いた婦人であったが、母たる悲しみと妻たる務めとの為めに千々に心を砕きつつあった。その苦痛は今尚お私をして記憶せしめる程深刻な苦しみであったのである。
八重山丸とか云う汽船に父母、姉、私、病弟、この五人が乗り込んで沖縄を発つ日は、この島特有の湿気と霧との多い曇り日であった。南へ下る私共の船と、鹿児島へ去る長兄を乗せた船とは殆ど同時刻に出帆すべく灰色の波に太い煤煙を吐いていた。次兄はたった[#「たった」に傍点]孤りぼっち此島に居残るのである。
送られる人、送る人、骨肉三ヶ所にちりぢり[#「ちりぢり」に傍点]ばらばらになるのである。二人の兄の為めには此日が実に病弟を見る最後の日であった。新領土と言えば人喰い鬼が横行している様におもわれている頃だったので、見送りに来た多数の人々も皆しんから[#「しんから」に傍点]別れを惜しんでくださった。船が碇を巻き上げ、小舟の次兄の姿が次第次第に小さく成って行く時、幼い私や弟は泣き出した……
真夜中船が八重山沖を過ぎる頃は弟の病状も険悪になって来た。その上船火事が起って大騒ぎだった。大洋上に出た船、而かも真夜中の闇《くら》い潮の中で船火事などの起った場合の心細さ絶望的な悲しみは到底筆につくしがたい。
ジャンジャンなる警鐘の中にいて、病弟をしっかり抱いた母はすこしも取り乱した様もなく、色を失った姉と私とを膝下にまねきよせて、一心に神仏を祷っているらしかった。
が幸いに火事は或る一室の天井やベッドを焦したのみで大事に至らず、病弟の容体も折合って、三昼夜半の後には新領土の一角へついたのである。淋しい山に取かこまれた港は基隆《キールン》名物の濛雨におおわれて淡く、陸地にこがれて来た私達の眼前に展開され、支那のジャンクは竜頭を統べて八重山丸の舷側へ漕いで来た。
今から二十何年前のキールンの町々は誠に淋しいじめじめした灰色の町であった。とうとうこんな遠い、離れ島に来てしまったと云う心地の中に、三昼夜半の恐ろしい大洋を乗りすてて、やっと目的の島へ辿り着いたという不安ながらも一種の喜びにみたされて上陸した私達は只子供心にも珍らしい許りであったが、こ
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