く。
午前十時半長田君大庭君(大阪毎日)神戸支局の某君に見送られて神戸丸に乗込む。キャビンに入ると、花の如き美人が居て小腰を屈めて挨拶せられる。僕が目を丸くして人違ひでないかといつたら、イヽエ日向の家内でざいますといはれて始て分つた。あゝ、これ我親友の細君だ。
滞阪二日間は俗事蝟集殆ど息も吐けなかつた。俗事には趣味はないが、多忙には趣味がある。少くも閑散無事に勝ること万々である。此間社の内外の諸友の厄介になる事一通りでない、或は祝宴を張つて貰ふ、餞別を貰ふ、見送つて貰ふ、殊に一友の如きは痾を紀州の某温泉に養つてゐたにも拘らず能※[#二の字点、1−2−22]大阪に来て僕を待合せ、僕が神戸を立つ迄は形影の如く相追随して家来が主人の世話をするやうに世話をして呉れた。僕は何も取得のない男だ、只かうした友を持つたのを聊か誇りとする。
眉山氏の訃に接した。
十七日午前大阪を発して神戸に来て大連行の神戸丸に乗込む。長田君、大庭君、日向君の代理として其半身の種子さん支局詰の某君等船まで見送られる。僕は此諸君が手仕舞の小蒸気に乗つて帰り行く影の見える迄舷側に立尽した。今迄は友の手から友の手へ渡されて、知らぬ間に人が皆好いやうにして置いて呉れた。これから自分で自分の始末をせねばならぬ。それは当然だが、かういふ友に別れて独法師になるのが何となく心細い。僕は豪傑でも何でもないから、肯て痩我慢を言はぬ。
午前十一時船は錨を抜いて神戸を出帆した。
底本:「現代日本紀行文学全集 中部日本編」ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日発行
初出:「東京朝日新聞」
1908(明治41)年7月8〜14日
※発表時には「入露記」と題した。
入力:林 幸雄
校正:土屋隆
2004年12月4日作成
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