素養がないから、動もすれば俗になる、突拍子もねえことを云やあがる的になる。坪内先生は、も少し上品にしなくちやいけぬといふ。徳富さんは(其の頃『國民之友』に書いたことがあつたから)文章にした方がよいと云ふけれども、自分は兩先輩の説に不服であつた、と云ふのは、自分の規則が、國民語の資格を得てゐない漢語は使はない、例へば、行儀作法といふ語は、もとは漢語であつたらうが、今は日本語だ、これはいゝ。併し擧止閑雅といふ語は、まだ日本語の洗禮を受けてゐないから、これはいけない。磊落といふ語も、さつぱりしたといふ意味ならば、日本語だが、石が轉つてゐるといふ意味ならば日本語ではない。日本語にならぬ漢語は、すべて使はないといふのが自分の規則であつた。日本語でも、侍る的のものは已に一生涯の役目を終つたものであるから使はない。どこまでも今の言葉を使つて、自然の發達に任せ、やがて花の咲き、實の結ぶのを待つとする。支那文や和文を強ひてこね合せようとするのは無駄である、人間の私意でどうなるもんかといふ考であつたから、さあ馬鹿な苦しみをやつた。
成語、熟語、凡て取らない。僅に參考にしたものは、式亭三馬の作中にある所謂深川言葉といふ奴だ。「べらぼうめ、南瓜畑に落こちた凧ぢやあるめえし、乙うひつからんだことを云ひなさんな」とか、「井戸の釣瓶ぢやあるめえし、上げたり下げたりして貰ふめえぜえ」とか、「紙幟《のぼり》の鍾馗といふもめツけへした中揚底で折がわりい」とか、乃至は「腹は北山しぐれ」の、「何で有馬の人形筆」のといつた類で、いかにも下品であるが、併しポエチカルだ。俗語の精神は茲に存するのだと信じたので、これだけは多少便りにしたが、外には何にもない。尤も西洋の文法を取りこまうといふ氣はあつたのだが、それは言葉の使ひざまとは違ふ。
當時、坪内先生は少し美文素を取り込めといはれたが、自分はそれが嫌ひであつた。否寧ろ美文素の入つて來るのを排斥しようと力めたといつた方が適切かも知れぬ。そして自分は、有り觸れた言葉をエラボレートしようとかゝつたのだが、併しこれは遂《と》う/\不成功に終つた。恐らく誰がやつても不成功に終るであらうと思ふ、中々困難だからね。自分はかうして詰らぬ無駄骨を折つたものだが……。
思へばそれも或る時期以前のことだ。今かい、今はね、坪内先生の主義に降參して、和文にも漢文にも留學中だよ。
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