陋態《ろうたい》を極めて居たんだ。
その中《うち》に、人生問題に就て大苦悶に陥った事がある。それは例の「正直《しょうじき》」が段々崩されてゆくから起ったので先ず小説を書くことで「正直」が崩される、その他|種々《いろいろ》のことで崩される。つまり生活が次第に崩してゆくんだ。そして、こんな心持で文学上の製作に従事するから捗《はか》のゆかんこと夥しい。とても原稿料なぞじゃ私一身すら持耐《もちこた》えられん。況や家道は日に傾いて、心細い位置に落ちてゆく。老人共は始終愁眉を開いた例《ためし》が無い。其他|種々《いろいろ》の苦痛がある。苦痛と云うのは畢竟金のない事だ。冗《くど》い様だが金が欲しい。併し金を取るとすれば例の不徳をやらなければならん。やった所で、どうせ足りッこは無い。
ジレンマ! ジレンマ! こいつでまた幾ら苦められたか知れん。これが人生観についての苦悶を呼起した大動機になってるんだ。即ちこんな苦痛の中に住んでて、人生はどうなるだろう、人生の目的は何だろうなぞという問題に、思想上から自然に走ってゆく。実に苦しい。従ってゆっくりと其問題を研究する余裕がなく、ただ断腸の思ばかりしていた。腹に拠る所がない、ただ苦痛を免《のが》れん為の人生問題研究であるのだ。だから隙があって道楽に人生を研究するんでなくて、苦悶しながら遣っていたんだ。私が盛に哲学書を猟《あさ》ったのも此時で、基督教《キリストきょう》を覘《のぞ》き、仏典を調べ、神学までも手を出したのも、また此時だ。
全く厭世と極って了えば寧《いっ》そ楽だろうが、其時は矛盾だったから苦しんだ。世の中が何となく面白くない。と云った所で、捨てる訳にはゆかん。何となく懐しい所もある。理論から云っても、人生は生活の価値あるものやら、無いものやら解らん。感情上から云っても同じく解らん……つまる所、こんな煮え切らぬ感情があるから、苦しい境涯に居たのは事実だ。が、これは「厭世」と名くべきものじゃ無かろうと思う。
其時の苦悶の一端を話そうか。――当時、最も博く読まれた基督教の一雑誌があった。この雑誌では例の基督教的に何でも断言して了う。たとえば、此世は神様が作ったのだとか、やれ何だとか、平気で「断言」して憚らない。その態度が私の癪《しゃく》に触る。……よくも考えないで生意気が云えたもんだ。儚《はかな》い自分、はかない制限《リミテッド》された頭脳《ヘッド》で、よくも己惚《うぬぼ》れて、あんな断言が出来たものだ、と斯う思うと、賤しいとも浅猿《あさま》しいとも云いようなく腹が立つ。で、ある時|小川町《おがわまち》を散歩したと思い給え。すると一軒の絵双紙屋の店前《みせさき》で、ひょッと眼に付いたのは、今の雑誌のビラ[#「ビラ」に傍点]だ。さア、其奴《そいつ》の垂れてるのを一寸瞥見しただけなんだが、私は胸がむかついて来た。形容詞じゃなく、真実《ほんと》に何か吐出しそうになった。だから急いで顔を背《そむ》けて、足早に通り抜け、漸《やっ》と小間物屋の開店だけは免れたが、このくらいにも神経的になっていた。思想が狂ってると同時に、神経までが変調になったので、そして其挙句が……無茶さ!
で、非常な乱暴をやっ了《ちま》った。こうなると人間は獣的嗜慾《アニマルアペタイト》だけだから、喰うか、飲むか、女でも弄《もてあそ》ぶか、そんな事よりしかしない。――一滴もいけなかった私が酒を飲み出す、子供の時には軽薄な江戸ッ児風に染まって、近所の女のあとなんか追廻したが、中年になって真面目になったその私が再び女に手を出す――全く獣的生活に落ちて、終《しまい》には盗賊《どろぼう》だって関わないとまで思った。いや、真実《ほんと》なんだ。
が、そこまでは豈夫《まさか》に思い切れなかった。人生は無意味《ノンセンス》だとは感じながらも、俺のやってる事は偽《うそ》だ、何か光明の来る時期がありそうだとも思う。要するに無茶さ。だから悪い事をしては苦悶する。……為《し》は為ても極端にまでやる事も出来ずに迷ってる。
そこでかれこれする間《うち》に、ごく下等な女に出会った事がある。私とは正反対に、非常な快活な奴で、鼻唄で世の中を渡ってるような女だった。無論浅薄じゃあるけれども、其処にまた活々とした処がある。私の様に死んじゃ居ない。で、其女の大口開いてアハハハハと笑うような態度が、実に不思議な一種の引力《アットラクション》を起させる。あながち惚れたという訳でも無い。が、何だか自分に欠乏してる生命の泉というものが、彼女《むこう》には沸々と湧いてる様な感じがする。そこはまア、自然かも知れんね――日蔭の冷たい、死というものに掴まれそうになってる人間が、日向《ひなた》の明るい、生気溌溂たる陽気な所を求めて、得られんで煩悶している。すると、議論じゃ一向始末におえない奴が、浅墓じゃあるが、具体的に一寸眼前に現《で》て来ている。――私の心というものは、その女に惹き付けられた。
これが併し動機になったんだ。勢い極まって其処まで行ったんだが、……これが畢竟《つまり》一転する動機となったんだ。
で、私はこんな事を考えた。――斯ういう風に実例を眼前に見て、苦しいとか、楽しいとか云う事は、人によって大変違う。例えば私が苦しいと思う事も、其女は何とも思わんかも知らん。それはまア浅薄で何とも思わないんだが、浅薄でなくてしかも何とも思わん人もある。それは誰かと云うに、孔子さんだろうと思う。悠々として天命を楽むのは実に豪《えら》い。例えば「死」なる問題は、今の所到底理論の解決以外だ。が、解決が出来たとした所で、死は矢張《やっぱ》り可厭《いや》だろう。ただ解決が出来れば幾分か諦《あきらめ》が付き易い効はあるが、元来「死」が可厭《いや》という理由があるんじゃ無いから――ただ可厭《いや》だから可厭《いや》なんだ――意味が解った所で、矢張《やっぱ》り何時迄も可厭《いや》なんだ。すると智識で「死」の恐怖を去る事は出来ん。死を怖れるのも怖れぬのも共に理由のない事だ。換言すれば其人の心持《メンタルトーン》にある。即ち孔子の如き仁者の「気象」にある。ああ云う聖人の様な心持で居たらば、死を怖れて取乱す事もあるまい。人生の苦痛に対しても然り、聖人だって苦痛は有る、が、その間に一分の余裕があって取乱さん。悠々として迫らぬ気象、即ち「仁」がある。だから思想上で人生問題の解決が付くか否か解らんが、一方で人間に「仁」の気象を養ったら、何となく人生を超絶して、一段上に出る塩梅《あんばい》で、苦痛にも何にも捉えられん、仏者の所謂自在天に入りはすまいかと考えた。
そこで、心理学の研究に入った。
古人は精神的《メンタリー》に「仁」を養ったが、我々新時代の人は物理的《フヒジカリー》に養うべきではなかろうかという考になった。
心理学、医学に次いで、生理心理学を研究し始めた。是等に関する英書は随分|蒐《あつ》めたもので、殆ど十何年間、三十歳を越すまで研究した。呉博士《くれはくし》と往復したのも、参考書類を読破しようという熱心から独逸語を独修したのも、此時だ。けれども其結果、どうも個人の力じゃ到底やり切れんと悟った。ヴントの実験室《ラボラトリー》、ジェームスの実験室《ラボラトリー》、其等が無ければ、何時迄経っても真の研究は覚束ないと思い出した。そんなら銭の費《かか》らん研究法をしなくてはならんが、其には自分を犠牲にして解剖壇上に乗せて、解剖学を研究するより外仕方がない。当時は、医学上の大発見の為に毒薬を仰いだりした人の話が頭にあったから、そんな犠牲心も起したんだ。即ち私の心的要素《マインドスタッフ》を種々の事情の下に置いて、揉み散らし、苦め散らし、散々な実験《エクスペリメント》を加えてやろう。そしたら、学術的に心持《メンタルトーン》を培養する学理は解らんでも、その技術《アート》を獲《え》ることは出来やせんか、と云うので、最初は方面を撰んで、実業が最も良かろうと見当を付けた。それで、実業家と成ろうと大分焦った。が併し私の露語を離れ離れにしては実業に入れぬから、露国貿易と云うような所から段々入ろうと思った。そして国際的関係に首を突込んで、志士肌と商売肌を混ぜてそれにまた道徳的のことも加えたり何かして見ると、かのセシルローズなぞが面白い人物と思われるようになった。単に金持が羨《うらやま》しいんじゃない。形は違うが、一つああいう風の事業をやろうと云うのを見当としてそんな方面にも走った事がある。で、私の職業の変遷を述べれば、官報局の翻訳係、陸軍大学の語学教師、海軍省の編輯書記、外国語学校の露語教師なぞという順序だが、今云った国際問題等に興味を有《も》つに至って浦塩《うらじお》から満洲に入《い》り、更に蒙古に入《い》ろうとして、暫時《しばし》警務学堂に奉職していた事なんぞがある。
が、これは外面に現れた事実上の事だ。その心的方面を云うと、この無益《やくざ》な心的要素《マインドスタッフ》が何れ程まで修練を加えたらもの[#「もの」に傍点]になるか、人生に捉われずに、其を超絶する様な所まで行くか、一つやッて見よう、という心持で、幾多の活動上の方面に接触していると、自然に、人生問題なぞは苦にせずに済む。で、この方面の活動だと、ピタッと人生にはまッて了って、苦痛は苦痛だが、それに堪えられんことは無い。一層奮闘する事が出来るようになるので、私は、奮闘さえすれば何となく生き甲斐があるような心持がするんだ。
明治三十六年の七月、日露戦争が始まると云うので私は日本に帰って、今の朝日新聞社に入社した。そして奉公として「其面影」や「平凡」なぞを書いて、大分また文壇に近付いては来たが、さりとて文学者に成り済ました気ではない。矢張《やっぱ》り例の大活動、大奮闘の野心はある――今でもある。
[#地付き](明治四十一年六月「文章世界」)
底本:「平凡・私は懐疑派だ」講談社文芸文庫、講談社
1997(平成9)年12月10日第1刷発行
底本の親本:「二葉亭四迷全集 第一、二、三、四、七巻」筑摩書房
1984(昭和59)年11月〜1991(平成3)年11月
入力:長住由生
校正:もりみつじゅんじ
2000年5月4日公開
2006年3月29日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
二葉亭 四迷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング