事だが、実はあれに就いては人の知らない苦悶をした事がある。
私は当時「正直《しょうじき》」の二字を理想として、俯仰天地に愧《は》じざる生活をしたいという考えを有《も》っていた。この「正直《しょうじき》」なる思想は露文学から養われた点もあるが、もっと大関係のあるのは、私が受けた儒教の感化である。話は少し以前に遡るが、私は帝国主義《インペリアリズム》の感化を受けたと同時に、儒教の感化をも余程蒙った。だから一方に於ては、孔子の実践躬行という思想がなかなか深く頭に入っている。……いわばまあ、上っ面の浮かれに過ぎないのだけれど、兎に角上っ面で熱心になっていた。一寸《ちょっと》、一例を挙げれば、先生の講義を聴く時に私は両手を突かないじゃ聴かなんだものだ。これは先生の人格よりか「道」その物に対して敬意を払ったので。こういう宗教的傾向、哲学的傾向は私には早くからあった。つまり東洋の儒教的感化と、露文学やら西洋哲学やらの感化とが結合って、それに社会主義《ソシアリズム》の影響もあって、ここに私の道徳的の中心観念、即ち俯仰天地に愧《は》じざる「正直《しょうじき》」が形づくられたのだ。
併しこれは思想上の事だ。これが文学的労作と関係のある点はどうか。第一『浮雲』から御話するが、あの作は公平に見て多少好評であったに係らず、私は非常に卑下していた。今でも無い如く、其当時も自信というものが少しも無かった。然るに一方には正直という理想がある。芸術に対する尊敬心もある。この卑下、正直、芸術尊敬の三つのエレメントが抱和した結果はどうかと云うに、まあ、こんな事を考える様になったんだ――将来は知らず、当時の自分が文壇に立つなどは僭越至極、芸術を辱しむる所以である。正直の理想にも叶って居らん……と思うものの、また一方では、同じく「正直《しょうじき》」から出立して、親の臑《すね》を噛っているのは不可《いかん》、独立独行、誰《たれ》の恩をも被《き》ては不可《いかん》、となる。すると勢い金が欲しくなる。欲しくなると小説でも書かなければならんがそいつは芸術に対して済まない。剰《あまつさ》え、最初は自分の名では出版さえ出来ずに、坪内さんの名を借りて、漸《やっ》と本屋を納得させるような有様であったから、是れ取りも直さず、利のために坪内さんをして心にもない不正な事を為《さ》せるんだ。即ち私が利用するも同然である。のみ
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