くともなく、殆ど平行して進んでいた。が、漸く帝国主義《インペリアリズム》の熱が醒めて、文学熱のみ独り熾《さか》んになって来た。
 併し、これは少しく説明を要する。
 私のは、普通の文学者的に文学を愛好したというんじゃない。寧ろロシアの文学者が取扱う問題、即ち社会現象――これに対しては、東洋豪傑流の肌ではまるで頭に無かったことなんだが――を文学上から観察し、解剖し、予見したりするのが非常に趣味のあることとなったのである。で、面白いということは唯だ趣味の話に止まるが、その趣味が思想となって来たのが即ち社会主義《ソシアリズム》である。
 だから、早く云って見れば、文学と接触して摩《す》れ摩れになって来るけれども、それが始めは文学に入らないで、先ず社会主義に入って来た。つまり文学趣味に激成されて社会主義になったのだ。で、社会主義ということは、実社会に対する態度をいうのだが、同時にまた、一方において、人生に対する態度、乃至は人間の運命とか何とか彼《か》とかいう哲学的趣味も起って来た。が、最初の頃は純粋に哲学的では無かった……寧ろ文明批評とでもいうようなもので、それが一方に在る。そして、現世の組織、制度に対しては社会主義が他方に在る。と、まあ、源《もと》は一つだけれども、こんな風に別れて来ていたんだ。
 社会主義を抱かせるに関係のあった露国の作家は、それは幾つもあった。ツルゲーネフの作物、就中《なかんずく》『ファーザース・エンド・チルドレン』中のバザーロフなんて男の性格は、今でも頭に染み込んでいる。その他チェルヌイシェーフスキー、ヘルツェン、それから露国の作家じゃないがラッサール、これらはよく読んだものだ。
 勿論、社会主義といったところで、当時は大真面目であったのだが、今考えると、頗《すこぶ》る幼稚なものだったのだ。例えば、政府の施政が気に喰わなんだり、親達の干渉をうるさがったり、無暗《むやみ》に自由々々と絶叫したり――まあすべての調子がこんな風であったから、無論官立の学校も虫が好かん。処へ、語学校が廃されて商業学校の語学部になる。それも僅かの間で、語学部もなくなって、その生徒は全然商業学校の生徒にされて了う。と、私はぷいと飛出して了った。その時、親達は大学に入れと頻りに勧めたが、官立の商業学校に止まらなかったと同様に、官立の大学にも入らなかった。で、終《しまい》には、親の世
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