Oへ迎えに出ている。私を看附《みつけ》るや、逸散《いっさん》に飛んで来て、飛付く、舐《な》める。何だか「兄さん!」と言ったような気がする。若し本包《ほんづつみ》に、弁当箱に、草履袋で両手が塞《ふさ》がっていなかったら、私は此時ポチを捉《つか》まえて何を行《や》ったか分らないが、其が有るばかりで、如何《どう》する事も出来ない。拠《よん》どころなくほたほたしながら頭を撫《な》でて遣るだけで不承《ふしょう》して、又歩き出す。と、ポチも忽ち身を曲《くね》らせて、横飛にヒョイと飛んで駈出すかと思うと、立止って、私の面《かお》を看て滑稽《おどけ》た眼色《めつき》をする。追付くと、又逃げて又其|眼色《めつき》をする。こうして巫山戯《ふざけ》ながら一緒に帰る。
 玄関から大きな声で、「只今!」といいながら、内へ駈込んで、卒然《いきなり》本包を其処へ抛《ほう》り出し、慌《あわ》てて弁当箱を開けて、今日のお菜の残り――と称して、実は喫《た》べたかったのを我慢して、半分残して来た其物《それ》をポチに遣《や》る。其れでも足らないで、お八ツにお煎を三枚貰ったのを、責《せび》って五枚にして貰って、二枚は喫《た》べて、三枚は又ポチに遣る。
 夫から庭で一しきりポチと遊ぶと、母が屹度《きっと》お温習《さらい》をお為《し》という。このお温習《さらい》程私の嫌いな事はなかったが、之をしないと、直《じき》ポチを棄《すて》ると言われるのが辛いので、渋々内へ入って、形《かた》の如く本を取出し、少し許《ばかり》おんにょごおんにょごと行《や》る。それでお終《しまい》だ。余《あんま》り早いねと母がいういのを、空耳《そらみみ》潰《つぶ》して、衝《つ》と外へ出て、ポチ来い、ポチ来いと呼びながら、近くの原へ一緒に遊びに行く。
 これが私の日課で、ポチでなければ夜《よ》も日も明けなかった。

          十六

 ポチは日増しにメキメキと大きくなる。大きくはなるけれど、まだ一向に孩児《ねんねえ》で、垣の根方《ねがた》に大きな穴を掘って見たり、下駄を片足|門外《もんそと》へ啣《くわ》え出したり、其様《そんな》悪戯《いたずら》ばかりして喜んでいる。
 それに非常に人懐こくて、門前を通掛りの、私のような犬好が、気紛れにチョッチョッと呼んでも、直《すぐ》ともう尾を掉《ふ》って飛んで行く。況《ま》して家《うち》へ来た人だと、誰彼《たれかれ》の見界《みさかい》はない、皆に喜んで飛付く。初ての人は驚いて、子供なんぞは泣出すのもある。すると、ポチは吃驚《びっくり》して其面《そのかお》を視ている。
 人でさえ是だから同類は尚お恋しがる。犬が外を通りさえすれば屹度《きっと》飛んで出る。喧嘩するのかと、私がハラハラすれば、喧嘩はしない、唯|壮《さかん》に尻尾を掉《ふ》って鼻を嗅合《かぎあ》う。大抵の犬は相手は子供だという面《かお》をして、其儘|※[#「勹/夕」、第3水準1−14−76]々《さっさ》と行《い》こうとする。どっこいとポチが追蒐《おッか》けて巫山戯《ふざけ》かかる。蒼蠅《うるさ》いと言わぬばかりに、先の犬は歯を剥《む》いて叱る。すると、ポチは驚いて耳を伏せて逃げて来る。
 ポチは此様《こん》な無邪気な犬であったから、友達は直《じき》出来た。
 友達というのは黒と白との二匹で、いずれもポチよりは三ツ四ツも年上であった。歴とした家《うち》の飼い犬でありながら、品性の甚だ下劣な奴等で、毎日々々朝から晩まで近所の掃溜《はきだめ》を※[#「求/食」、第4水準2−92−54]《あさ》り歩き二度の食事の外《ほか》の間食《かんしょく》ばかり貪《むさぼ》っている。以前から私の家《うち》の掃溜《はきだめ》へも能《よ》く立廻《たちまわ》って来て、馴染《なじみ》の犬共ではあるけれど、ポチを飼うようになってからは、尚お頻繁《ひんぱん》に立廻って来る。ポチの喫剰《たべあま》しを食いに来るので。
 ポチは大様《おおよう》だから、余処《よそ》の犬が自分の食器へ首を突込んだとて、怒《おこ》らない。黙って快く食わせて置く。が、他《ひと》の食うのを見て自分も食気附《しょくきづ》く時がある。其様《そん》な時には例の無邪気で、うッかり側《そば》へ行って一緒に首を突込もうとする。無論先の犬は、馳走になっている身分を忘れて、大《おおい》に怒《いか》って叱付ける。すると、ポチは驚いて飛退《とびの》いて、不思議そうに小首を傾《かし》げて、其ガツガツと食うのを黙って見ている。
 父は馬鹿だと言うけれど、馬鹿気て見える程無邪気なのが私は可愛《かわ》ゆい。尤も後《のち》には悪友の悪感化を受けて、友達と一緒に近所の掃溜《はきだめ》へ首を突込み、鮭《しゃけ》の頭を舐《しゃぶ》ったり、通掛《とおりがか》りの知らん犬と喧嘩したり、屑拾いの風体を怪し
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