ソら》を瞻上《みあ》げている。形体《なり》は私が寝ていて想像したよりも大きかったが、果して全身雨に濡れしょぼたれて、泥だらけになり、だらりと垂れた割合に大きい耳から雫《しずく》を滴《たら》し、ぽっちりと両つの眼を青貝のように列べて光らせている。
「おやおや、まあ、可愛らしい! ……」と、母も不覚《つい》言って了った。
 況《いわん》や私は犬好だ。凝《じッ》として視ては居られない。母の袖の下から首を出して、チョッチョッと呼んで見た。
 と、左程|畏《おそ》れた様子もなく、チョコチョコと側《そば》へ来て流石《さすが》に少し平べったくなりながら、頭を撫《な》でてやる私の手を、下からグイグイ推上《おしあ》げるようにして、ベロベロと舐廻《なめまわ》し、手を呉れる積《つもり》なのか、頻《しきり》に円い前足を挙げてバタバタやっていたが、果は和《やんわ》りと痛まぬ程に小指を咬む。
 私は可愛《かわゆ》くて可愛くて堪《た》まらない。母の面《かお》を瞻上《みあ》げながら、少し鼻声を出し掛けて、
「阿母《おっか》さん、何か遣って。」
「遣るも好《い》いけど、居附いて了うと、仕方がないねえ。」
 と、口では拒むような事を言いながら、それでも台所へ行って、欠茶碗《かけぢゃわん》に冷飯を盛って、何かの汁を掛けて来て呉れた。
 早速|履脱《くつぬぎ》へ引入れて之を当がうと、小狗《こいぬ》は一寸《ちょっと》香《か》を嗅いで、直ぐ甘《うま》そうに先ずピチャピチャと舐出《なめだ》したが、汁が鼻孔《はな》へ入ると見えて、時々クシンクシンと小さな嚔《くしゃみ》をする。忽ち汁を舐尽《なめつく》して、今度は飯に掛った。他《ほか》に争う兄弟も無いのに、切《しきり》に小言を言いながら、ガツガツと喫《た》べ出したが、飯は未だ食慣《くいな》れぬかして、兎角上顎に引附《ひッつ》く。首を掉《ふ》って見るが、其様《そん》な事では中々取れない。果は前足で口の端《はた》を引掻《ひッか》くような真似をして、大藻掻《おおもが》きに藻掻《もが》く。
 此隙《このひま》に私は母と談判を始めて、今晩一晩泊めて遣ってと、雪洞《ぼんぼり》を持った手に振垂《ぶらさが》る。母は一寸《ちょっと》渋ったが、もう斯うなっては仕方がない。阿爺《おとっ》さんに叱られるけれど、と言いながら、詰り桟俵法師《さんだらぼうし》を捜して来て、履脱《くつぬぎ》の隅に
前へ 次へ
全104ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
二葉亭 四迷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング