も溜めて、いつ何時《なんどき》私に如何《どん》な事が有っても、妻子が路頭に迷わぬ程にして置きたいと思うだけだが、それが果して出来るものやら、出来ぬものやら、甚だ覚束《おぼつか》ないので心細い……
が、考えると、昔は斯うではなかった。人並に血気は壮《さかん》だったから、我より先に生れた者が、十年二十年世の塩を踏むと、百人が九十九人まで、皆《みんな》じめじめと所帯染《しょたいじ》みて了うのを見て、意久地《いくじ》の無い奴等だ。そんな平凡な生活をする位なら、寧《いっ》そ首でも縊《くく》って死ン了《じま》え、などと蔭では嘲けったものだったが、嘲けっている中《うち》に、自分もいつしか所帯染《しょたいじ》みて、人に嘲けられる身の上になって了った。
こうなって見ると、浮世は夢の如しとは能《よ》く言ったものだと熟々《つくつく》思う。成程人の一生は夢で、而も夢中に夢とは思わない、覚めて後《のち》其と気が附く。気が附いた時には、夢はもう我を去って、千里万里《せんりばんり》を相隔てている。もう如何《どう》する事も出来ぬ。
もう十年早く気が附いたらとは誰《たれ》しも思う所だろうが、皆判で捺《お》したように、十年後れて気が附く。人生は斯うしたものだから、今私共を嗤《わら》う青年達も、軈《やが》ては矢張《やっぱ》り同じ様に、後《のち》の青年達に嗤《わら》われて、残念がって穴に入る事だろうと思うと、私は何となく人間というものが、果敢《はか》ないような、味気ないような、妙な気がして、泣きたくなる……
あッ、はッ、は! ……いや、しかし、私も老込んだ。こんな愚痴が出る所を見ると、愈《いよいよ》老込んだに違いない。
二
老込んだ証拠には、近頃は少し暇だと直ぐ過去を憶出《おもいだ》す。いや憶出《おもいだ》しても一向|憶出《おもいだ》し栄《ばえ》のせぬ過去で、何一つ仕出来《しでか》した事もない、どころじゃない、皆碌でもない事ばかりだ。が、それでいて、其《その》失敗の過去が、私に取っては何処か床しい処がある、後悔慚愧|腸《はらわた》を断《た》つ想《おもい》が有りながら、それでいて何となく心を惹付《ひきつ》けられる。
日曜に妻子を親類へ無沙汰見舞に遣った跡で、長火鉢の側《そば》で徒然《ぽつねん》としていると、半生《はんせい》の悔しかった事、悲しかった事、乃至《ないし》嬉しか
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