った。文学が専門だから、文学書は私より余計読でいたという丈で、何でもない事だが、それを私は大層偉いように思っていた。まだファウストを読まぬ時、ファウストの話を聴《きか》される。なに、友は愚にも附《つか》ん事を言っているのだが、其愚にも附かん事を、人生だ、智慾だ、煩悶だ、肉だ、堕落だ、解脱《げだつ》だ、というような意味の有り気な言葉で勿体を附て話されると、何だか難有《ありがた》くなって来て、之を語る友は偉いと思った。こんな馬鹿気た話はない。友は唯私より少し早くファウストという古本《ふるほん》を読《よん》だ丈の事だ。読んで分った所で、ファウストが何程《どれほど》の物だ? 技巧の妙を除いたら、果してどれ程の価値がある? 況《いわん》や友はあやふやな語学の力で分らん処を飛ばし飛ばし読んだのだ。読んで幼稚な頭で面白いと感じた丈だ、それも聞怯《ききおじ》して、従頭《てんから》面白いに極《き》めて掛って、半分は雷同で面白いと感じた丈だ。読んで十分に味わい得た所で、どうせ人間の作った物だ、左程の物でもあるまいに、それを此様《こん》な読方をして、難有《ありがた》がって、偶《たまたま》之を読まぬ者を何程《どれほど》劣等の人間かのように見下《みくだ》し、得意になって語る友も友なら、其を聴いて敬服する私も私だ。心ある人から観たら、嘸《さ》ぞ苦々しく思われたろう。
此友から私は文学の難有《ありがた》い訳を種々《いろいろ》と説き聴かされた。今ではもう大抵忘れて了ったけれど、何でも文学は真理に新しい形を賦《ふ》して其生命を直接に具体的に再現するものだ、とか聴かされて、感服した。自然の真相は普通人に分らぬ、詩人が其主観を透《とお》して描いて示すに及んで、始めて普通人にも朧気《おぼろげ》に分って人間の宝となる、とか聴かされて、又感服した。恋には人間の真髄が動く、とか聴かされて、又感服した。其他《そのた》まだ種々《いろいろ》聴かされて一々感服したが、此様《こん》な事は皆|愚言《たわごと》だ、世迷言《よまいごと》だ。空想に生命を託して人生を傍観するばかりで、古本と首引《くびぴき》して瞑想するばかりで、人生に生命を託して人生と共に浮沈上下《ふちんじょうか》せんでも、人生の活機に触れんでも、活眼を以て活勢を機微の間《あいだ》に察し得んでも、如何《どう》かして人生が分るものとしても、友のいうような其様《そ
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