し現象も勿論偶然のものには相違なけれど、言葉の言廻し脚色の摸様によりて此偶然の形の中に明白に自然の意を写し出さんこと、是れ摸写小説の目的とする所なり。夫れ文章は活《イキ》んことを要す。文章活ざれば意ありと雖も明白なり難く、脚色は意に適切ならんことを要す。適切ならざれば意充分に発達すること能わず。意は実相界の諸現象に在っては自然の法則に随って発達するものなれど、小説の現象中には其発達も得て論理に適わぬものなり。譬ば恋情の切なるものは能く人を殺すといえることを以て意と為したる小説あらんに、其の本尊たる男女のもの共に浮気の性質にて、末の松山浪越さじとの誓文《せいもん》も悉皆《しっかい》鼻の端の嘘言一時の戯ならんとせんに、末に至って外に仔細もなけれども、只親仁の不承知より手に手を執って淵川に身を沈むるという段に至り、是ではどうやら洒落に命を棄て見る如く聞えて話の条理わからぬ類は、是れ所謂意の発達論理に適わざるものにて、意ありと雖も無に同じ。之を出来損中の出来損とす。
 夫れ一口に摸写と曰うと雖も豈容易の事ならんや。羲之《ぎし》の書をデモ書家が真似したとて其筆意を取らんは難く、金岡の画を三文画師が引写にしたればとて其神を伝んは難し。小説を編むも同じ事也。浮世の形を写すさえ容易なことではなきものを況《まし》てや其の意をや。浮世の形のみを写して其意を写さざるものは下手の作なり。写して意形を全備するものは上手の作なり。意形を全備して活たる如きものは名人の作なり。蓋し意の有無と其発達の功拙とを察し、之を論理に考え之を事実に徴し、以て小説の直段《ねだん》を定むるは是れ批評家の当に力むべき所たり。
[#地付き](明治十九年四月「中央学術雑誌」)



底本:「平凡・私は懐疑派だ」講談社文芸文庫、講談社
   1997(平成9)年12月10日第1刷発行
底本の親本:「二葉亭四迷全集」筑摩書房
   1984(昭和59)年11月〜1991(平成3)年11月
入力:長住由生
校正:はやしだかずこ
2000年11月8日公開
2006年3月29日修正
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