いうちに出発するといふ葉書を書いた。(それは出さずにしまつた。)
 それで私はやゝ安心した。
 母は今からもう喜んでゐる。
 妻はそれを報告した時ちつとも感情を面に表はさなかつた。
 母は晩に高木さんへ行つた。
 晩になつて雨が降つた。
 Oが母より早く帰つたかどうか、私は知らない。……雨が降らなかつたら、私は帰つて来たところだが……
 妻は、自分が何時私のところへ来たのか思ひ出せない。昨日だつたか一昨日だつたか……妻が若し私のことを思つてゐれば、そんなことは無い筈だ。それが私にいやな思ひをさせた。

 ともかくこの日妻はいかにも落著き払つてゐた。妻が内心何を感じてゐるか様子を見ただけでは誰にもわかるまい。
 私はOは妻が好きだし妻はOが好きだから、二人の関係は暫くそのまゝ続くだらうと、再び確信した。


     ○
 三日、私は終日涙を流してゐた。
 四日、妻との夫婦としての交渉を絶つことを妻に申し渡した。
 五日、妻は半ば告白した。
 妻は日中トミを連れて来た。あなたが自分をそんなに悩ましてゐる事実を一々落著いて穿鑿して見たなら自分の間違ひに気が附くんではないかしら、と妻は云ふ。私はさうだともさうでないとも云つた。Oに対する妻の態度が依然として、私が想像してゐるやうな重大な変化を来たしてゐないといふ意味では、さうだと云えるが、妻の心に愛の芽があつてもやはり妻を疑ふことができないといふ意味では、さうではないと云へる。すると妻は又恐ろしく腹を立てた。トミは倦きて泣き出した。妻は帰つて行つた。
 晩に妻が一人で又来て告白した。
 妻の話では、Oが浜口のところへ行つた晩遅く帰つた。十二時過ぎになつた。妻は二階のOのところへ行つて四十分間(即ち一時まで?)ゐた。何故Oのところにそんなに永くゐたのかそれは思ひ出せない、と妻は云ふ、妻はそのことを今日の夕方小さい小供の寝顔を眺めながら考へた。
 玄関で妻がOと出会つた。Oの顔を見ると妻は全身にぞつと悪寒が走るやうな気がした。


     ○
 五日、妻の本当の懺悔。
 妻はOの側に四十分間立つてゐた。
 どんな風に時が経つたか忘れた。
 妻はOに対して一度も憤りを感じたことがない。


     ○
 Oは私を訪ねることを喜ばなかつた。

 Oは、何故出発を延ばしたのか私に話さなかつた。
 Oは私が居合せない時だけ賑かに喋べる。
 Oは他所で泊らなくなつた。
 Oは絶えず妻に不平を云つた。
 Oは河原に対して冷たくなつた。
 私に対するOの冷淡な態度。
 そつけない手紙。
 妻は私の帰宅を喜ばなかつた。

 私の留守中妻は一層Oと親しくなつた。……それが私をいやな気持にさせた。
 (一)絶えずOのことを思ひ出す。
 (二)豆の話。
 五月二十三日(三)妻は二時間許りOのところにゐた。私に対する妻の冷淡な態度。
 (四)妻は引越しを早くするやうに勧めた。
 (五)私の引越しの前日、妻は又も長坐した。
  (私と)妻との対話。
 私の引越しの日妻は家にゐなかつた。
 Oに対する妻のぞんざいな態度。
 (六)妻との相談、妻の返答。
 (七)妻との親密な交渉を断たうといふ私の決意。
 七月一日、妻は母のことばかりこぼして、Oはまるでそれに関係がないやうな調子だ。妻は一人Oの肩を持つて、その滞在を重荷だと感じない。

   最近
 Oのことで妻は一度も不平を云はない。
 大体、妻はOの滞在を重荷に感ずる風を見せない。



底本:「日本の名随筆 別巻77 嫉妬」作品社
   1997(平成9)年7月25日第1刷発行
底本の親本:「二葉亭四迷全集 第八巻」岩波書店
   1965(昭和40)年4月
入力:浦山敦子
校正:noriko saito
2008年6月4日作成
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