別と、人生に触れる、触れぬとの間にゃ大なるギャップが有りゃせんか。私はどうも那様《そんな》気がするね。触れる云々は形容詞に過ぎんように思う。哲学上の見解から小説と人生との接触を見たんではないらしい。にも係《かかわ》らず其無意味のことに意味をつけて、やれ触れたの、やれ人生の真髄は斯うだのと云う。一片の形容詞が何時の間にか人生観と早変りをするのは、これ何とも以て不思議の至りさ。
 いや、何時のまにか私も大気焔を吐いて了って。先ずここらで御免を蒙ろう。
[#地付き](明治四十一年二月「文章世界」)



底本:「平凡・私は懐疑派だ」講談社文芸文庫、講談社
   1997(平成9)年12月10日第1刷発行
底本の親本:「二葉亭四迷全集 第一、二、三、四、七巻」筑摩書房
   1984(昭和59)年11月〜1991(平成3)年11月
入力:長住由生
校正:もりみつじゅんじ
2000年5月4日公開
2006年3月27日修正
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