で火花でも散らしたように、鮮かに見わたされた。雲は狂い廻わる風に吹き払われて形を潜《ひそ》め、空には繊雲《ちりくも》一ツだも留めず、大気中に含まれた一種清涼の気は人の気を爽《さわや》かにして、穏かな晴夜の来る前触れをするかと思われた。自分はまさに起ち上りてまたさらに運だめし(ただし銃猟の事で)をしようとして、フト端然と坐している人の姿を認めた。眸子《ひとみ》を定めてよく見れば、それは農夫の娘らしい少女であッた。二十歩ばかりあなたに、物思わし気に頭を垂れ、力なさそうに両の手を膝に落して、端然と坐していた。旁々《かたがた》の手を見れば、半《なかば》はむきだしで、その上に載せた草花の束ねが呼吸をするたびに縞《しま》のペチコートの上をしずかにころがッていた。清らかな白の表衣をしとやかに着なして、咽喉《のど》元と手頸のあたりでボタンをかけ、大粒な黄ろい飾り玉を二列に分ッて襟《えり》から胸へ垂らしていた。この少女なかなかの美人で、象牙をも欺《あざ》むく色白の額ぎわで巾の狭い緋の抹額《もこう》を締めていたが、その下から美しい鶉色《うずらいろ》で、しかも白く光る濃い頭髪を叮嚀に梳《とか》したのがこぼれでて、二ツの半円を描いて、左右に別れていた。顔の他の部分は日に焼けてはいたが、薄皮だけにかえって見所があった。眼《まな》ざしは分らなかッた、――始終下目のみ使っていたからで、シカシその代り秀でた細眉と長い睫毛《まつげ》とは明かに見られた。睫毛はうるんでいて、旁々《かたがた》の頬にもまた蒼《あお》さめた唇へかけて、涙の伝った痕《あと》が夕日にはえて、アリアリと見えた。総じて首つきが愛らしく、鼻がすこし大く円すぎたが、それすらさのみ眼障りにはならなかッたほどで。とり分け自分の気に入ッたはその面《おも》ざし、まことに柔和でしとやかで、とり繕ろッた気色は微塵《みじん》もなく、さも憂わしそうで、そしてまたあどけなく途方に暮れた趣きもあッた。たれをか待合わせているのとみえて、何か幽かに物音がしたかと思うと、少女はあわてて頭を擡《もた》げて、振り反ってみて、その大方の涼しい眼、牝鹿のもののようにおどおどしたのをば、薄暗い木蔭でひからせた。クワッと見ひらいた眼を物ケのした方へ向けて、シゲシゲ視詰めたまま、しばらく聞きすましていたが、やがて溜息を吐いて、静にこなたを振り向いて、前よりはひときわ低く屈みながら、またおもむろに花を択《え》り分け初めた。擦《す》りあかめたまぶちに、厳しく拘攣《こうれん》する唇、またしても濃い睫毛の下よりこぼれでる涙の雫《しずく》は流れよどみて日にきらめいた。こうしてしばらく時刻を移していたが、その間少女は、かわいそうに、みじろぎをもせず、ただおりおり手で涙を拭いながら、聞きすましてのみいた、ひたすら聞きすましてのみいた……フとまたガサガサと物音がした、――少女はブルブルと震えた。物音は罷《や》まぬのみか、しだいに高まッて、近づいて、ついに思いきッた濶歩《かっぽ》の音になると――少女は起きなおッた。何となく心おくれのした気色。ヒタと視詰めた眼ざしにおどおどしたところもあッた、心の焦られて堪えかねた気味も見えた。しげみを漏れて男の姿がチラリ。少女はそなたを注視して、にわかにハッと顔を赧《あか》らめて、我も仕合《しあわせ》とおもい顔にニッコリ笑ッて、起ち上ろうとして、フトまた萎れて、蒼ざめて、どきまぎして、――先の男が傍に来て立ち留ってから、ようやくおずおず頭を擡《もた》げて、念ずるようにその顔を視詰めた。
自分はなお物蔭に潜《ひそ》みながら、怪しと思う心にほだされて、その男の顔をツクヅク眺めたが、あからさまにいえば、あまり気には入らなかった。
これはどう見ても弱冠の素封家の、あまやかされすぎた、給事らしい男であった。衣服を見ればことさらに風流をめかしているうちにも、またどことなくしどけないのを飾る気味もあッて、主人の着故《きふ》るしめく、茶の短い外套《がいとう》をはおり、はしばしを連翹色《れんぎょういろ》に染めた、薔薇色《ばらいろ》の頸巻をまいて、金モールの抹額《もこう》をつけた黒帽を眉深《まぶか》にかぶッていた。白襯衣《シャツ》の角のない襟は用捨もなく押しつけるように耳朶を※[#「拱」の「共」に代えて「掌」]《ささ》えて、また両頬を擦り、糊《のり》で固めた腕飾りはまったく手頸をかくして、赤い先の曲ッた指、Turquoise(宝石の一種)製のMyosotis(草の名)を飾りにつけた金銀の指環を幾個ともなくはめていた指にまで至ッた。世には一種の面貌がある、自分の観察したところでは、つねに男子の気にもとる代り、不幸にも女子の気に適《かな》う面貌があるが、この男のかおつきはまったくその一ツで、桃色で、清らかで、そしてきわめて傲慢《ごうまん》そ
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