もいゝかね、さあランク君、行つてみよう――(入口の處で)おや、どうしたんだ?
ノラ なあに? あなた。
ヘルマー ランク君の話で、大變な衣裳稽古を見る積りだつたが?
ランク (入口の所で)私もさう思つてゐた。聞き違ひとみえる。
ノラ いけませんよ、明日の晩までは私の晴衣裳は誰にも見せないの。
ヘルマー どうしたんだ、お前は大變疲れてるやうにみえる、稽古をし過ぎたのだらう。
ノラ いゝえ、まだ少しも稽古なんかしやしません。
ヘルマー けれども、お前やらなくちやいけないんだらう――
ノラ えゝ是非やらなくちやならないんですよ。けれどもね、あなた來て教へて下さらなきや、やれないんですもの、私みんな忘れちやつた。
ヘルマー あゝ、そりやまた直に思ひ出すさ。
ノラ ですから教へて下さいな、ねえ、よくつて、それぢや約束して下さい――本當に私、氣にかゝつてならないの。あんな大勢の人の前で――今夜は貴方、すつかり私のために身體をあけておいて下さいな。これつぱかりでも仕事をしてはいけなくつてよ。さ、約束して下さいな、よくつてあなた?
ヘルマー 約束するよ、今夜はすつかりお前の奴隷になるよ。可哀さうに、氣の弱い奴だな――それはさうと先づ――(廊下の扉の方へ行きながら)
ノラ 何をなさるの?
ヘルマー 手紙が來てやしないか見るのさ。
ノラ いけません、いけません。そんなことをしちや、ねえ。
ヘルマー なぜさ?
ノラ あなた、お願ひですから止して下さいな、手紙なんか來ちやゐませんよ。
ヘルマー ま、ま、見てくるよ(行かうとする)
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(ノラはピアノの前に坐つて、タランテラ踊の音樂の一小節を奏でる)
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ヘルマー (入口の處に立止る)おや?
ノラ 私最初にあなたとお浚《さら》ひをしておかなくちや明日踊れませんもの。
ヘルマー (女の方へ行きながら)お前本當にさう昂奮してるのかえ、ノラ?
ノラ えゝ、じつとしてゐられないんですよ。さ、すぐお浚へにかゝりませう。お夕飯までにはまだ時間があります。ね、坐つて彈いて下さいよ、あなた。いつものやうに指圖して下さいよ。
ヘルマー しろといふんなら、そりやもう悦んでするさ(ピアノの臺の前に坐る。ノラ、箱の中からタンバリンを取出す。そして急いで長い雜色織のショールを身にまとふ。そして一とびして床の眞中に立つ)
ノラ さあ、彈いて下さい! 踊りますよ!
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(ヘルマーが彈きノラが踊る。ランクはピアノの前、ヘルマーの後に立つて眺めてゐる)
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ヘルマー (彈きながら)もつと、ゆつくり、ゆつくり!
ノラ ゆつくりは踊れませんの。
ヘルマー これノラ、そんな亂暴でなく。
ノラ いゝんですよ、いゝんですよ。
ヘルマー (止める)ノラ! それぢや到底ものにならないよ。
ノラ (笑つてタンバリンを振り動かす)だから、さういつたぢやありませんか。
ランク 私が彈いてあげませう。
ヘルマー あゝ、どうか――さうすれば私が教へてやるのに都合がいゝから。
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(ランクはピアノに向つて彈ずる。ノラは段々氣狂のやうに踊り出す。ヘルマーはストーヴの傍に立つて、絶えずノラの踊振りを直すやうに差圖する。ノラはその言葉が聞えないやうにみえる。その髮の毛がほぐれて兩肩に垂れかゝる。ノラはそれに氣も付かない樣子で踊り進む。そこへリンデン夫人が入つてきて、入口の處に襲はれた樣に立すくむ)
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リンデン まあ――
ノラ (踊りながら)こんな面白いことをしてるんですよ、クリスチナさん!
ヘルマー どうしたんだ、ノラ、お前の踊りはまるで生死《いきしに》の騷ぎのやうだ。
ノラ えゝ、生命がけの踊りなの。
ヘルマー ランク君、止め給へ! これぢやまるで氣狂だ。おい君止め給へ。
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(ランク、ピアノを彈き止める。ノラ、それと同時に突然立止つて身動きもせぬ)
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ヘルマー (女の方へ行きながら)これほどまでとは思はなかつたが、お前、俺の教へてやつたものを、すつかり忘れてしまつたな。
ノラ (タンバリンを投出す)ね、ご覽なすつたでせう。
ヘルマー これぢやあ實際教へる必要がある。
ノラ ね、教はる必要があるでせう。だから愈々といふ間際まで、あなたすつかり稽古をして下さらなくつちやいけません。その約束をして下さいよ、ね。
ヘルマー よろしい、よろしい。
ノラ 今日と明日とは私のことのほか、何も考へないでゐて下さい。手紙一本だつて開
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