主人は少しも私をご存じなかつたでせう? それでどうしてランク先生が――?
ノラ あ、それはランク先生のいふ通りですの。クリスチナさん。全體トル※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ルトが私を愛してることといつたら一通りや二通りぢやないんですからね、私の體を全く自分の物にしきらないと承知しないの、いつも自分でさういつてるのよ。ですから結婚した當座なんか、私が里にゐる頃親しくしてゐた人の名でもいはうものなら、もうすぐ妬きもちをやくのですよ。そんな風で自然にさうしたことをいはないやうにして置いたのですけれどね、ランク先生にはよく昔のことなんか話しましたのよ、あの方はそんなことを聞くのが大變好きなものだから。
リンデン ですけれどねえ、ノラさん、あなたはまだ、どうしてもねんねえよ。私あなたよりは年も上だし、經驗も幾らか餘計に積んでるからいひますがね、あなたはランク先生との關係を、きちんとしておく必要がありますよ。
ノラ どんな關係?
リンデン あなたは昨日、金持であなたを崇拜してる人にお金を拵へて貰ふといつたでせう?――
ノラ えゝ、實際はゐない人にねえ、お氣の毒さま、それがどうしました?
リンデン ランク先生はお金を持つてるの?
ノラ えゝ、持つてます。
リンデン そして、遺産相續といつては、誰もゐないでせう?
ノラ 誰もゐません。だけれど――
リンデン それで以て、あの人は毎日この家へ來るんでせう?
ノラ えゝ、毎日。
リンデン 私は、あの人がもう少し嗜みを持つててくれるといゝと思ひます。
ノラ 私まだあなたのおつしやる意味がわからない。
リンデン 白ばくれちやいけませんよ、ノラさん。あなたまだ千二百ターレルのお金をあなたに貸した人が、誰だか私に當てがつかないと思つてるの?
ノラ はゝはゝ、どうかしてるわ、あなた、さういふ考へでゐたのですね。毎日家へ來るお友達から借金をするなんて! どんなに氣まづいだらう。
リンデン ぢやあ本當にあの人ぢやないの?
ノラ えゝ本當に。そんなことは今まで考へて見たこともありません――それにあの頃はまだ、あの方には人に貸すやうなお金は無かつたのですよ。財産の手に入つたのは後の事なの。
リンデン まあ、その方があなたのためにはよかつたと思ひます。
ノラ 全く私、ランク先生のことなんぞは考へても見なかつたのだけれど、もしあの方に頼んだらきつと――
リンデン けれども、あなた頼む氣は無論ないのでせう?
ノラ 無論ですとも。そんな必要なんかないんですもの。けれども、きつと何よ、もしランク先生に話したら――
リンデン ご主人にいはないで?
ノラ 私ね、これから切り拔けなくちやならないことがあるの、それも主人に隱して是非その方の片をつけなくちやならない。
リンデン それがいゝわ、私、昨日もさういつたでせう? たゞ――
ノラ (あちらこちらと歩きながら)えゝ、こんなことを運ぶのは、女よりもずつと男の方がいゝんだけれど。
リンデン 夫にさせるなら、無論いゝですとも。
ノラ そんな馬鹿な(じつと立止る)あのね、借りてたものをすつかり返せば證書は返つて來るのでせうか?
リンデン 無論ですよ。
ノラ 返つて來たら、あの汚れた嫌なものをずた/\に引き裂いて燒いてしまひたいわ!
リンデン (じつとノラを見て、仕事の物を下に置いて徐々と立上る)ノラさん、あなたは私に何か隱していらつしやるのね?
ノラ さう私の顏に書いてあるの?
リンデン 昨日の朝から何か變なことがあつたのね、何です? ノラさん。
ノラ (リンデン夫人の方へ行きながら)クリスチナさん――(聞耳を立てる)しつ! トル※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ルトが歸つて來た。さ、乳母の室へ行つてゝ頂戴、あの人は裁縫なんか見てることの出來ない人ですからね。それから、アンナに手傳はせて下さいな。
リンデン (手近の物を取り集めて)はい/\、ですけれども、すつかりお話を聞くまでは歸りませんよ。
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(リンデン夫人は左手に出て行く、引きちがへにヘルマーが廊下から入つて來る)
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ノラ (走りよつて迎へる)まあ、お歸りなさい。
ヘルマー 仕立屋が來てゐたのか?
ノラ いゝえ、クリスチナさんですよ、私の衣裳を手傳つてゐてくれるの、今に綺麗に出來上るから見ていらつしやい。
ヘルマー あゝ、俺のあの考へは、いゝ思ひつきだつたらう?
ノラ ほんとによかつたわ、けれども私があなたの考へに賛成したのも、えらいでせう?
ヘルマー (ノラの顎の下を捉へながら)えらい? 夫の考へに賛成したのが? まあ、よし/\、この氣まぐれ家、いや/\賛成したくせに。今こんな事をいつてお前の邪魔をしちやならない。お前はこれから
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