ないやうにしませう。これが貴方の指輪です。私のも下さい。
ヘルマー これまでもかい?
ノラ それもですよ。
ヘルマー さあ、これ。
ノラ はい、それですつかり濟みました。鍵はこゝへおきます。エレンがすべてこのことは知つてゐます。私よりも精しく知つてゐます。私が立つてから明日クリスチナさんがきて私の荷物を荷造りしてくれませう。あとから送つて貰ふことにしておきます。
ヘルマー あゝもう駄目だ! もう駄目だ! ノラ! お前はもうどんなことがあつても二度と私のことは考へてくれなからうか。
ノラ それは、あなたのことも子供のことも、この家のことも、どうして思ひ出さずにゐられませう。
ヘルマー 手紙をやつてもいゝか。
ノラ いけません。決してなりません。
ヘルマー けれども、お前に送らなくちやならないものが――
ノラ 何もいけません。何もいけません。
ヘルマー もし必要な場合には助けなくちやならないから。
ノラ いけませんてば。見ず知らずの他人からは、どんな物だつて貰ひません。
ヘルマー 私はもうどういつても、お前には見ず知らずの他人より以上のことはできないのか?
ノラ (旅行鞄を取りながら)それは、あなた、そんなことの出來る時には、本當の奇蹟が現はれなくちやなりますまい。
ヘルマー 本當の奇蹟とは?
ノラ 私達が二人ともすつかり變つて――あゝもう、私、奇蹟なんか信じない。
ヘルマー けれども私は信ずるよ。私達がすつかり變つて――
ノラ 二人の仲が本當の結婚にならなくてはなりません。左樣なら。
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(ノラ出て行く)
[#ここで字下げ終わり]
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ヘルマー (顏を兩手に埋めて扉の傍の椅子に沈む)ノラ! ノラ! (見廻はして立上る)誰もゐない。行つてしまつた(一の希望が吹き込まれてくる)あゝ! 奇蹟、奇蹟――※[#感嘆符疑問符、1−8−78] (下から重い戸を閉ぢる響が聞える)
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]幕
底本:「人形の家」角川文庫、角川書店
1952(昭和27)年8月15日初版発行
1961(昭和36)年4月30日17版発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2008年6月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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