わからないのでせう? 本當に美しく治まつてゐたものをねえ!
ランク まあ、とにかく、私はこんなにして精神も肉體も貴女に捧げてるのですから、さ、お話の先を聞かせて下さい。
ノラ (男の方を見ながら)話の先ですつて――今になつて?
ランク どうか、貴女の頼みといふのを聞かせて下さい。
ノラ 今となつては私もう何も申し上げられませんわ。
ランク いや/\、そんな風にして私を罰しなくてもいゝでせう。男として出來ることなら何でもしますから、あなたのために働かせて下さい。
ノラ もう私のためになんてことは駄目ですよ。それに本當は私助けて頂く必要はありません。たゞ私の空想でそんなことを考へただけですから、えゝ、さうに決つてます。勿論さうですわ(ロッキングチェヤに坐り微笑しながら男の方を見て)あなたは好い人なんですけれどね先生、あんなことをおつしやつて恥かしくはなくつて? こんなにランプがテーブルの上で光つてるのに。
ランク いや、さうも思へません。が、もう私はお暇した方がよささうです――永のお暇を。
ノラ いけませんよ、そんなことつてありません。今まで通りにいらしてゐて下さいな。あなたがいらつしやらないと主人が困ることはよくご承知でせう。
ランク それはわかつてますが、あなたは?
ノラ それは知れきつてるぢやありませんか、私かうやつて貴方とお話するのが何よりも好きですもの。
ランク それだ、私に思ひ違ひをさせたのは、あなたは私にとつちや謎だ。殆んどヘルマー君と同じやうに私がお好きなのぢやないかと、そんなことを思つたのも何度か知れません。
ノラ ね? さうでせう? 自分の愛する人も好きですけれど、話をして面白い人も好きですわねえ。
ランク 左樣――さういふこともいへますね。
ノラ 私、子供の折には自然とお父さんが一番好きでしたわ。けれど下男達の部屋へそつと入つて行くのが大變面白かつたのですよ、第一、下男達は私にお説教をしないでせう? それにあれ達の色々な話を聞くのが非常に面白かつたものですから。
ランク おや、おや、ぢや、私がその下男代りといふわけですね。
ノラ (とび上つてランクの方へ急ぎ行く)あらまあ先生、そんな意味ぢやないんですよ、ですけれど、おわかりでせう? トル※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ルトは丁度私に取つては、お父さんのやうなものですからね――
[#ここから3
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