ノラ 借りられないつて? なぜ?
リンデン だつて、妻が夫に内證で借金をする譯には行きますまい。
ノラ (頭を立てゝ)ですけれどね、少し實際のことを知つてゝ、手筈をさへ心得てゐれば何でもありませんわ――
リンデン ですけれどノラさん。私わかりません――
ノラ えゝ、おわかりにならないで、ようござんすよ。私、借金をしたとは申しません、何か外のことで儲けたんでせうよ。(ソファにかけたまゝ後へすがつて)誰か私を崇拜してる男からでも貰つたんでせう。これでもねえ――私くらゐの女なら――
リンデン ノラさん、あんまり駄々つ子過ぎますよ。
ノラ さうらね、わからないでせう? 不思議でせう?
リンデン まあお聞きなさい、ノラさん。あなた、少し亂暴ぢやなかつたんですか?
ノラ (眞直に坐わり直して)夫の命を救ふのが亂暴ですつて?
リンデン 亂暴といふのは、御主人に知らせないで――
ノラ けれども知らせたら命に障つたかも知れない場合ですもの。わかつたでせう? あの人は自分でどの位惡いか知らなかつたんです。醫者がそつと私の所へ來て命が危いから南ヨーロッパの旅行でもしなくちや、救ふ道はなからうと言ふのです。ですから私、最初に外交術を使ひましたの、それくらゐのことをしなくてどうするものですか。若い内は何處の細君でもやるやうに、外國旅行が是非したいといつて頼みました。泣いてせがんでやつたのですよ。私のことも考へて下さい、私のいふことに逆つてはなりませんてね。そしてお金は借りたらよからうと、それとなくいつたのです。さうすると、あなた、怒鳴らないばかりに怒りましてね、輕噪《けいさう》な奴だ、そんな出來心や空想は止めるのが夫の役目だといふのです――出來心や空想ですとさ。そんな風ですから、私は、よろしい、とにかく命は救つて上げなくちやあならないと決心しましてね、その方法を立てたのですよ。
リンデン そしてお宅では、そのお金のことを、先方からお聞きにはならなかつたのですか?
ノラ いゝえ、ちつとも。ちやうどその間際に父が死んだのですよ。私父に話して、宅へは何もいはないやうに頼んで置かうと思つたのですが、病氣が募つて――可哀さうに、口止めする必要もなくなつてしまひました。
リンデン で、御主人には何も打ち明けてはいらつしやらない?
ノラ 飛んでもないこと。あなた一體何を考へていらつしやるの? 借金といふこ
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