る場合がある。ただ何とはなしに、しなくてはならないように思ってする、ただ一念そのことが成し遂げたくてする。こんな形で普通道徳に貢献する場合がある。私も正しくその通りのことをしている。しかしこればかりでは地球がいやでも西から東に転ずるのと少しも違ったところはない、徹した心持がない、生きていない、不満足である。そこでいろいろ考えて見ると、どうもやはりその底に撞《つ》きあたるものは神でも真理でもなくして、自己という一石であるように思われる。この意識の消しがたいがために、義務道徳、理想道徳の神聖の上にも、知識はその皮肉な疑いを加えるに躊躇しない、いわく、結局は自己の生を愛する心の変形でないかと。
かようにして、私の知識は普通道徳を一の諦めとして成就させる。けれども同時にその源《みなもと》が神秘なものでも荘厳なものでもなくなって、第一義真理の魅力を失い、崇拝にも憧憬にも当たらなくなってしまう。
四
知識で押して行けば普通道徳が一の方便になるとともに、その根柢に自己の生を愛するという積極的な目標が見えて来る。世間にはこの目標を目障《めざわ》りだと言って見まいとするものもあるが、自
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