いるとともに、一方はきわめて散文的な、方便的な人生を観ている。この両端にさまよって、不定不安の生を営みながら、自分でも不満足だらけで過ごして行く。
この点から考えると、世の一人生観に帰命《きみょう》して何らの疑惑をも感ぜずに行き得る人は幸福である。ましてそれを他人に宣伝するまでになった人はいよいよ幸福である。私にはすべてそれらのものが信ぜられず、あらが見えるように思われてならない。あるものは持って廻った捏造物《ねつぞうぶつ》だ、あるものは虚偽矯飾の申しわけだ、あるものは楯《たて》の半面に過ぎず、あるものはただの空華幻象に過ぎない。自分の知識が白い光をその上に投げると、これらのものは皆その粉塗していた色を失ってしまう、散文化し方便化してしまう。それを知らぬ振りに取りつくろって、自分でもその夢に酔って、世と跋《ばつ》を合わせて行くことは、私にはだんだん堪えがたくなって来た。自分の作った人生観さえ自分で信ずることの出来ない私であるから、まして他人の立てた人生観など、そのまま受け入れることの出来るものは一つもない。何ものをも批評するのが先になって、信ずることが出来ない、讃仰することが出来ない。信じ得る人の心は平和であろうが、批評する人の心はいつも遑々《こうこう》としている。ここに至って私は自分の強梁《きょうりょう》な知識そのものを呪《のろ》いたくなる。
五
自分は何らの徹底した人生観をも持っていない。あらゆる既存の人生観はわが知識の前にその信仰価を失う。呪うべきはわが知識であるとも思うが、しかたがない。何らかの威力が迫って来て、私のこの知識を征服してくれたら、私は始めて信じ得るの幸福に入るであろう。
されば現下の私は一定の人生観論を立てるに堪えない。今はむしろ疑惑不定のありのままを懺悔《ざんげ》するに適している。そこまでが真実であって、その先は造り物になる恐れがある。而してこの私を標準にして世間を見渡すと、世間の人生観を論ずる人々も、皆私と似たり寄ったりの辺にいるのではないかと猜《さい》せられる。もしそうなら、世を挙げて懺悔の時代なのかも知れぬ。虚偽を去り矯飾を忘れて、痛切に自家の現状を見よ、見て而してこれを真摯《しんし》に告白せよ。この以上適当な題言は今の世にないのでないか。この意味で今は懺悔の時代である。あるいは人間は永久にわたって懺悔の時代以上に超越するを得ないものかも知れぬ。
以上を私が現在において為《な》し得る人生観論の程度であるとすれば、そこに芸術上のいわゆる自然主義と尠《すく》なからぬ契機のあることを認める。けれども芸術上の自然主義はもっと広い。また芸術は必して直接にわれらの実行生活を指揮し整理する活動でもない。
六
余論としてここに一言を要するのは、史上にいわゆる人生観上の自然主義である。過去において明らかにかような名辞を用いたのは、私の知る限りでは、Professor W. H. Hudson のルーソー論に Naturalism in Life と言っているのなどがその最近の例である。これは言うまでもなくルーソーの「自然に還れ」「自然の人」「反文明」「反人巧」の人生観に冠した名であるが、もしこれを定限とすれば、さような人生観上の自然主義は、私に取っては疑惑内の一事実たるに止って、解決の全部とはならない。
ニイチェが人生観の、本能論の半面にあらわれた思想も、一種の自然主義と見る人がある。それならこれもまたルーソーの場合と同しく、わが疑惑内の一事実を提示するに過ぎないのは言うを待たぬ。
ロシアの作者、ツルゲネフやトルストイにあらわれた虚無思想をもって最もよく人生観上の自然主義に当たるものと見る人もある。虚無思想の中心は、ツルゲネフの作が定義するところによれば、あらゆるものを信ぜず、あらゆる権威に抗争する点に存する。しかしこの思想を一の人生観として取り上げる時、そこに当然消極か積極かという問題が起こり来たらざるを得ないことは、すでにヨーロッパの論者が言っている通りである。而してその当然の解釈が、信ぜず従わずをもって単なる現状の告白とせず、進んでこれを積極の理想とするに傾くとすれば、これも私には疑惑圏内の一要素となるばかりで、最後の解決とはならない。
かくのごとくしていわゆる人生観上の自然主義も私には疑いの一面たるに過ぎない。
底本:「日本の文学 77 名作集(一)」中央公論社
1970(昭和45)年7月5日初版発行
1971(昭和46)年4月30日再版発行
初出:「近代文芸之研究」
1909(明治42)年6月
入力:川山隆
校正:土屋隆
2007年4月5日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www
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